太平洋戦争の原因|アメリカの事情と思惑2

シナ移民と衝突!!日本人移民にも嫌悪感

アメリカ大陸にもともと住んでいた先住民は、他部族にわかれており人口密度も高くありませんでした。
そのため、18世紀にアメリカに移り住んだヨーロッパ人たちは広大な土地を自由に開拓できました。

19世紀中ごろ。
アメリカは大陸横断鉄道建設のために、シナ大陸から大量のチャイニーズを受け入れました。
当時は人種差別が当然の時代。
当然、チャイニーズも黒人と同じように奴隷のように扱うつもりでした。
しかし、アメリカに入ってきたチャイニーズたちは白人以上に知能があり、勤勉でした。
チャイニーズたちはお金を貯め、土地を買い、店を開き、金鉱を買い・・・。
白人をしのぐ勢いで力をつけていきました。

シナ人殺しがはじまる

19世紀後半。
ヨーロッパで貧困と迫害に苦しんだポーランド人やアイルランド人が大量にアメリカに入ってきました。
しかし、東側にはすでに多くの白人が住んでいました。
やむなく、ポーランド人やアイルランド人は西へと進んでいきました。

やっとの思いで西海岸に辿り着いたポーランド人やアイルランド人。
そこには、なんとチャイニーズが住んでいました。
しかも、差別対象なのに、自分たちよりも良い暮らしをしていました。

長い旅を終えたポーランド人やアイルランド人は失望しました。
そして、それが怒りに変わり、ついにシナ人殺しがはじまりました。
かつてインディアンがヨーロッパ人に虐殺されたように、シナ人は次々と殺されていき、生き残ったシナ人もひっそりと暮らすようになりました。

日本人の移民と排斥運動

「フロンティア消滅」が宣言されたころ。
日本人の移民がアメリカに流れてきました。
日本人はシナ人と同様、勤勉でした。
加えて日本人は日露戦争に勝利していたため、「日本人が白人に敗けるわけがない」という信念もありました。

白人たちにしてみれば、今まで差別の対象だった有色人種が、アメリカでデカい顔して良い暮らしをはじめたのです。
当然、アメリカに住む白人たちは怒り、嫉妬。
しかし、日本はロシアに勝利した国。
シナ人の移民のように母国に見放されたわけでもないため、殺すわけにいきませんでした。
(シナ人の祖国は海外渡航を禁止していた)

日本人への怒りや嫉妬は増すばかり。

殺してしまったら国際問題。
しかも、アメリカは太平洋側に艦隊を持っていないのに、日本はロシアをも負かすほどの強力な艦隊を保有している。

アメリカ人たちは日本人に対して怒りや嫉妬だけでなく、恐怖心も抱えはじめました。

 

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