豊臣秀吉(戦国時代)

Toyotomi_hideyoshi

<出典:wikipedia

豊臣秀吉 とよとみひでよし (1536~1598)

 

1536年。

豊臣秀吉は、尾張国(愛知県)の足軽の子どもとして誕生。

小さいころは日吉丸(ひよしまる)と呼ばれていました。

16歳のとき。

秀吉は家を出ると、織田信長に仕えはじめ、木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)と名乗るようになります。

 

藤吉郎はその機転と忠義から織田信長に認められるようになると、どんどん出世。

美濃国の斎藤氏を攻めるときは、わずか1週間で城を築き手柄を立てます。

その後、羽柴秀吉と名乗るようになり、近江国(滋賀県)の長浜城主となりました。

天下を統一する

1582年。

中国地方の毛利氏を攻めているとき、本能寺の変が起きます。

主君の織田信長が死亡したと聞いた秀吉は、軍師・黒田官兵衛のアドバイスですぐに引き返し、明智光秀を倒して仇をとります。

これにより、信長の部下達のなかで評価が急上昇すると、翌年。

信長の第一の部下だった柴田勝家を撃破。

信長の後継者としての地位を確立します。

 

その後、大阪の石山本願寺跡地に大阪城を築くと、ここを天下統一の本拠地に。

1590年。

小田原の北条氏を滅ぼすと、奥州の伊達政宗も秀吉に忠誠を誓います。

こうして、本能寺の変からわずか8年で天下統一を成し遂げ、戦国時代を終わらせました。

 

ちなみにこの頃、朝廷から関白の位をもらい、ついで太政大臣になります。

姓も豊臣に改め、豊臣秀吉と名乗るようになります。

秀吉の天下統一政策

天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。

まず全国の田畑の面積と、その良し悪しを調べ、収穫高と耕作者を記録します。

こうして、税を正確に取れるようにしました。

天下統一を果たすと、農民の一揆を防ぐために刀狩も行います。

農民から武器を奪って、戦えないようにしたのです。

これにより、農民は農業に専念することとなり、兵農分離が進みました。

 

国内を統一した秀吉は、中国の征服を計画。

その道筋にあたる朝鮮に攻め込みます。

1592年と1597年。

秀吉は2度にわたって大軍を送りましたが、2度目の出兵中に秀吉は亡くなってしまいます。

こうして、派遣中だった武将は朝鮮から引き揚げ、苦しい戦いが終わります。