はじめに
藤原薬子は、平城京遷都に関わり785年に暗殺された藤原種継の娘です。
薬子はその後、同じ藤原式家の藤原縄主と結婚し、5人の子どもの母親となりました。
そしてその内の長女が、桓武天皇の息子・安殿皇太子の妃になったことで、薬子は当時の政治を変える事件を起こすことになりました。
平城京から長岡京へ
桓武天皇は即位した3年後の784年に長岡(現在の京都、向日市・長岡京市周辺)に遷都することにしました。
薬子の父・種継は、この遷都の総指揮官でしたが、遷都反対派によって暗殺されてしまいました。
この件の首謀者とされた桓武天皇の弟・早良親王は自害。
その後すぐ、平安京が作られ長岡京から移ることになりました。
また、早良親王が亡くなったことで、今度は桓武天皇の息子・安殿親王が皇太子になります。
娘の結婚・そして……?
父の死後、藤原縄主と結婚し母親となった薬子ですが、長女がこの安殿皇太子の妃に選ばれました。
薬子は娘の“付き添い”として一緒に宮中へ上がります。
するとなんと、薬子は娘の夫・安殿皇太子と不倫関係に!
これに怒った桓武天皇は薬子を追い出します。
それでも薬子と安殿皇太子は関係を終わらせることはなく、桓武天皇が亡くなって安殿皇太子が“平城天皇”として即位すると、薬子はまた宮中へと戻ることになりました。
薬子、尚侍になる
桓武天皇が亡くなり宮中に戻った薬子は、尚侍(しょうじ)という地位を手に入れます。
尚侍とは、天皇の世話係のリーダーのこと。
その役目の中には、“天皇の言葉を臣下に伝える・臣下の意見を天皇に伝える”というのもありました。
この役目によって、薬子は政治に大きく影響を与えられる存在になったのです。
そして薬子の存在で、兄・仲成も大きな権力も持つことになります。
平城天皇、弟に譲位
平城天皇は天皇として、政治を頑張ってはいましたが……あまり政策が上手くいかず、ストレスで病気になってしまいました。
すると、止める薬子の言葉は聞かず、弟・神野親王に譲位してしまいます。
こうして神野親王が“嵯峨天皇”となり、平城天皇は“平城上皇”となりました。
天皇をやめた平城天皇は旧都・平城京に宮殿を造って暮らしますが、しばらくして病気が治ってしまったので、平城上皇は「天皇に戻れないかな~?」なんて気持ちになってきます。
薬子はその気持ちを煽って、ついに嵯峨天皇と対立することになります。
薬子の変
平城上皇が、ついに「平城京に遷都するように」と言い出すと、嵯峨天皇は薬子と兄・仲成から官位を取り上げました。
捕らえられた仲成は、ここで死にます。
しかし、平城上皇と薬子は諦めず、東国で挙兵しようとします。
その途中で捕まると、上皇は出家させられ、追い詰められた薬子は毒を飲んで自害しました。
平城太上天皇の変――しかし、これは嵯峨天皇が「平城上皇に罪がないように」として、薬子の変と呼ばれることになりました。
薬子の変で政治が変わった!
この薬子の変をきっかけにして、天皇の命令をすぐに太政官たちに伝える役目として、蔵人所ができました。
こうして薬子は、最終的には歴史を変える人物となったのです。
娘の夫と不倫をしたり、政治に影響を及ぼしたり……薬子は“悪女”として有名ですが、彼女が様々な手を使って権力に執着したのは、道半ばで倒れた父・種継のことが頭にあったからかもしれません。