百発百中の弓の天才!女性武将・板額

<出典:wikipedia

はじめに

板額(はんがく)は、甥である城 資盛(じょう すけもり)と共に鎌倉幕府軍と戦い苦しめたという弓の名手。

かっこいい名前から男性かな?と思う人もいるかもしれませんが、板額は女性です。

彼女は男性にも引けを取らない戦い振りで、多くの人を驚かせたと記録に残っているほどのスーパーウーマンでした。

 

『武徳鎌倉実記』には板額についてこう記録されています。

『板額は幼い頃から弓馬に打ち込んで、弓・刀槍は異国の樊噲(中国の豪傑)と言われたほどだ』

彼女はこの力を使って、甥・資盛の反幕府軍で活躍します。

鎌倉幕府との戦い

1201年の春に、資盛は鳥坂城(現在の新潟県、北蒲原郡中条町)で、佐々木盛綱が率いる幕府軍と戦います。

この時、板額も軍勢に加わりました。

板額は長い髪を切って結い上げると、腹巻(鎧の一種)を身につけ矢倉から次々と敵を射抜いていきます。

幼い頃から磨き上げてきた弓の才を、板額はここで大いに披露します。

『吾妻鏡』にも、『女でも弓は百発百中で、父や兄を凌ぐほどだ。板額の弓の腕は確かなもので、狙われた者はことごとく死んだ』と記されています。

 

板額が放つ弓は敵の胸を射抜き、馬を射抜き、楯すらも打ち砕いて、見事に幕府軍を押し返していきました。

この勢いに苦しめられた幕府軍の総大将・盛綱は、藤沢清親に裏山から板額を弓で狙わせます。

板額は両腿を射抜かれて、矢倉から落ちてしまいました。

そして、幕府軍の兵に捕まり――資盛軍は一気に総崩れとなり、この戦いは終わります。

捕えられ、そして・・・

捕らえられた板額は、そのまま鎌倉へと連れていかれました。

この時の鎌倉幕府将軍・源頼家が「幕府軍を苦しめたという板額を見てみたい」と言うので、板額は大勢の御家人と頼家の前に引き出されます。

この時、板額は少しも怖がる様子を見せずに平然としていました。

その度胸を見て、「死刑にするのは……」という意見が出たので、板額は流罪ということになりました。

ところが、その後に阿佐利義遠が頼家に、「板額を妻にしたい」と言ってきます。

頼家は「幕府の敵を妻にしたいとはどういうことだ?」と聞きます。

これに義遠は「板額を妻にして、その武勇の才を受け継ぐ子どもを産ませたい」と答えました。

すると頼家は、「確かに才能はなかなかのものだ」と義遠の願いを聞き入れます。

そして板額は義遠に甲斐(現在の山梨県)へ連れて行かれた、と伝わっていますが、その後の彼女は知られていません。