フランシスコ・ザビエル(戦国時代)

zabieru

<出典:wikipedia

フランシスコ・ザビエル (1506~1552)

 

1506年。

ザビエルはスペイン北東部のナバル王国で生まれました。

19歳の時にキリスト教を勉強するためパリを出ます。

1534年。

28歳のザビエルは、キリスト教を広めるためイエズス会を結成。

ロヨラと活動を開始します。

 

しばらくすると、ローマ教皇がキリスト教を海外に広めるため、イエズス会に協力を求めてきました。

そして、ザビエルがアジアにキリスト教を広める責任者として選ばれたのです。

日本へ布教しに行く

1541年。

アジアへ向かうためスペインを出発。

翌年、インドに到着します。

ザビエルはここでアンジローという日本人の青年に出会うと、その人柄や賢さから日本での布教に希望を持ちます。

そして、アンジローを案内役として、彼の故郷の鹿児島へ。

1549年。

無事、鹿児島に到着し、領主である島津氏の許しを得て布教を開始。

しかし、布教活動が思うように進みませんでした。

そこで、ザビエルは天皇に布教の許可を貰おうと考えます。

平戸、山口、堺を通って、京都に着いたザビエル。

到着してみると、そこには応仁の乱で荒れ果てた都の姿と、権力が衰えた天皇の姿しかありませんでした。

失望したザビエルは、わずか11日間滞在しただけで、すぐに京都を去りました。

 

日本を去っていく

ザビエルは当時もっとも栄えていた山口を布教の中心にしようと考えます。

山口を支配していた守護大名・大内義隆に布教の許可をもらうと、使われていない寺を借りて布教活動を始めます。

寺を拠点としたことである程度、成果を上げたザビエル。

2ヶ月間布教した後、日本を離れインドに戻ります。

その後、中国でもキリスト教を広めようとしますが、熱病にかかり急死してしまいました。

 

ちなみに、ザビエルは

「日本人ほど理性に従う人は世界中で会ったことがない」

と、日本でキリスト教が広まることに期待を寄せていました。