縄文土器に縄目の文様があるとは限らない

縄文土器とは縄文時代に日本列島各地で作られた土器のこと。
およそ1万6000年前から約2300年前に作られた土器です。
口では簡単に「1万年前」なんて言いますが、明治維新や太平洋戦争などにおける歴史的資料でさえ損失してしまっている中、こんなに古い縄文土器が現存していることは奇跡のようなことです。

縄文土器とは

縄文土器が発見されたのは1877年のことでした。
発見したのは、大森貝塚を発掘したアメリカ人の動物学者、エドワード・S・モース。
土器は最初はさまざまに呼ばれていましたが、やがて縄目文様という特徴から命名された「縄文式土器」と呼ばれるようになり、のちに「式」を取って「縄文土器」の名称が一般化しました。

さて、「縄文土器」の言葉には2つの意味があります。

・「縄文(縄目文様)が施された縄文時代の土器」という狭義の縄文土器
・「縄文時代の土器一般」という広義の縄文土器

縄文時代の始まりは、日本列島に土器が出現したときからです。
この時代の土器は全て縄文土器です。
稲作農耕が始まってからの土器は弥生時代の弥生土器と呼ばれます。
つまり、広義の縄文土器とは縄文時代の最初から最後までの時間をカバーする呼称です。
縄文時代の中には縄目文様のない土器が使われたこともありますし、地方によってはずっと縄文を施さずに土器を作った地域もあります。

縄文土器の用途

学校の歴史の教科書にある、縄文土器を写真では、土器のサイズ感が分かりませんが、
実物をみれば、その多様な大きさとさまざまな角度からの装飾に驚かされます。
縄文時代は1万年近くも続いたので、土器の種類が多いのは当然でしょう。
食材の調理・加工や盛り付け、祭祀目的などで実にさまざまな土器が作られています。

縄文土器の製法と文様の多様性

製法は、はじめ巻上法(まきあげほう)という細長い粘土の紐をらせん状に積み上げるものでしたが、
輪積法(わづみほう)という粘土の輪を積み上げてカタチを整えるように変わっていきました。
文様は、縄文以外にも、貝殻文、押型文、燃糸条痕文(ねんしじょうこんもん/撚った糸を使った文様)、隆起線文沈線文(ちんせんもん/竹や貝などを引きずって描く文様)などがあります。
500~800℃の低い温度の火で焼き上げるので、黒褐色、茶褐色の土器は厚手でもろいのが特徴です。
器の形は基本的に深鉢形と浅鉢形に分けられ、ほかに香炉型土器、双口土器、注口土器などもあります。
年代は、草創・早・前・中・後・晩期に6区分され、地域は大きく東日本と西日本に分けられますが、もっと細かな地域差があります。

火焔土器の謎

縄文土器の中でも、ドラマティックな造型で目を楽しませてくれるのが火焔型土器です。
火焔型土器は深鉢形土器の1種。
縄目模様はまずありません。
胴部に粘土紐を貼り付けたS字状、渦巻状の文様が施されています。
ほとんどの火焔土器上部には、粘土紐によって装飾された4箇所の大きな複雑な形状の把手があり、鶏のトサカのようにも見えます。
それ以外の口縁部も王冠のようにギザギザです。
この上部のダイナミックな形状が燃え上がる炎を思わせることから、「火焔型」土器と呼ばれていますが、これらの装飾が何を表したものかは不明です。
集落内などで発見される場所に特筆される傾向はありません。
またオコゲ付きのものが出土したことから、煮炊きに使われたと考えられますが、カタチには実用性というよりは、祭祀的な目的があったのではないかとも考えられています。

解明された部分もあるものの、まだまだ縄文土器の謎は謎のまま。
古代ロマンあふれる造型の魅力は計り知れません。

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