第95代天皇 花園天皇

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<出典:wikipedia

第95代天皇
 花園天皇 はなぞのてんのう
(1297年~1348年)

1297年。
花園天皇は伏見天皇の第三皇子として誕生。
母は藤原季子(きし)、名を富仁(とみひと)といいました。

時代は、鎌倉時代末期。
大覚寺統と持明院統が大きく対立していました。
そこで花園天皇は、伏見上皇の意向で、兄の後伏見天皇と契約上親子関係を結びました。
これは持明院統の分裂を防ぐためで、その後、後二条天皇の皇太子となりました。

後二条天皇は大覚寺統。
花園天皇は持明院統。
なので、花園天皇が皇太子となったのは、鎌倉幕府が提示した「両統を交互に天皇にする」という原則にのっとったものでした。

花園天皇が即位する

1308年。
後二条天皇が亡くなったため、花園天皇が天皇の座につきました。
同時に、今度は大覚寺統の尊治親王(後醍醐天皇)が皇太子となりました。
後二条天皇には幼い皇子・邦良親王がいましたが、後宇多上皇は尊治親王をつなぎの役割として天皇にしようと考えていたのです。

花園天皇は12歳で天皇となったため、はじめの5年間は父・伏見上皇が院政を敷きました。
その後の5年間は兄の後伏見上皇が院政を行いました。

政治を任せていた花園天皇は、熱心に歴代天皇や諸子百家(しょしひゃっか)、日本の書籍について研究。
「学問とは本質を究め、道義を修めるためのもの」だという考えに至りました。
そして、『学道之記(がくどうのき)』や『誡太子書(かいたいししょ)』などを書き記しました。

後醍醐天皇に譲位した後。
花園天皇は光厳天皇(北朝)の養育に力を注ぎました。
また、禅宗への信仰も強かったため、晩年には妙心寺も造りました。