第101~103代天皇  称光天皇~後土御門天皇

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第101代天皇
 称光天皇 しょうこうてんのう
(1401年~1428年)

1401年。
称光天皇は後小松天皇の第一皇子として誕生。
父の譲位を受けて、わずか12歳で天皇となりました。

12歳の称光天皇には政治能力はありませんから、父の後小松上皇が院政をはじめました。
しかし、後小松上皇は目立った業績を残すことはありませんでした。

一方、称光天皇は病気がちで、後継者にも恵まれませんでした。
そこで、後小松上皇は弟の小川宮を後継者に指名。
まだ若かった称光天皇はこれに不快感を示しました。

後継者問題で、称光天皇と後小松上皇に確執が発生している中。
小川宮が亡くなってしまいます。
すると、称光天皇は精神的に不安定になってしまいました。
そして、28歳の若さで亡くなってしまいました。


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第102代天皇
 後花園天皇 ごはなぞのてんのう
(1419年~1470年)

1419年。
後花園天皇は貞成親王(さだふさしんのう)の第一皇子として誕生しました。

先代の称光天皇が後継者を産まずに亡くなってしまったので、後小松上皇は後花園天皇を即位させました。
しかし、これは「大覚寺統と持明院統の両統から交互に天皇に出す」という約束を破るものでした。
そのため、南朝勢力の反発を招いてしまいます。

1443年。
南朝の残党が内裏を急襲。
三種の神器のうち宝剣と神璽(しんじ)が持ち去られてしまいました。

さらにこの時代、土一揆や飢饉で世の中が不安定になっていました。
しかし、室町幕府8代目将軍の足利義政は、政治に無関心。
そのため、天皇みずから将軍に忠告することもありました。


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第103代天皇
 後土御門天皇 ごつちみかどてんのう
(1442年~1500年)

1442年。
後土御門天皇は後花園天皇の子どもとして誕生し、1464年に天皇となりました。

後土御門天皇が即位してまもなく、都では応仁の乱が起こりました。
これにより、京都の市街地は大半が焼失。
皇室や公家の領地も大量に奪われてしまいます。
そのため朝廷の財力は枯渇し、朝廷儀式も多くが中止となってしまいました。

天皇に仕えていた公家たちは、戦乱を避けて地方へ逃れ始めました。
後土御門天皇も、足利義政の室町第へ移り住みました。
そんな状況でも後土御門天皇は、朝廷儀式を再び行おうとしますが、室町幕府はなかなか動いてくれません。
そして、1500年。
土御門天皇は亡くなってしまいました。
このとき、葬儀費用を出すことができないほど困窮しており、遺体は40日も放置されたといいます。