第29代天皇 欽明天皇

0411-01

第29代天皇
 欽明天皇 きんめいてんのう
(509年~571年)

509年。
欽明天皇は、継体天皇と皇后手白香皇女(たしらかのひめみこ)の間に生まれました。
当時はすでにヤマト政権の勢力が大きくなっており、政治を支える役職につく者も多数。
なかでも、大伴金村(おおとものかなむら)と物部尾輿(もののべのおこし)、蘇我稲目(そがのいなめ)の三者は強大な力を持ち、拮抗していました。

540年。
物部尾輿が「大伴金村が百済へ任那4県割譲を許したため、新羅の恨みを買った」と糾弾。
これにより大伴金村は失脚してしまいました。
こうして、蘇我氏と物部氏の二大勢力が政権を握るようになり、両者は対立を深めていきます。

541年。
蘇我稲目は娘の堅塩媛(きたしひめ)と小姉君(おあねのきみ)を欽明天皇の妃として送り込み、天皇の子どもを産ませました。
こうしてこれ以降、蘇我氏は天皇の外戚として権力を拡大していきました。

欽明天皇の政治

当時、朝鮮半島には任那(みまな)という拠点がありました。
しかし、欽明天皇の時代に任那は滅び、友好国だった百済も弱体化してしまいます。
滅びた任那を再考するため欽明天皇は救援軍を朝鮮に派遣しましたが、士気が低く、内部分裂も起こり、任那を回復することはできませんでした。

552年。
百済から金銅の釈迦仏像や経論などが献上され、仏教が伝わってきました。
すると、仏教の受け入れを巡って、蘇我稲目と物部尾輿が対立。
困った欽明天皇は、とりあえず蘇我稲目の仏教礼拝を許しました。

しかし、その翌年。
疫病が流行し、多数の死者がでてしまいます。
物部氏は、この原因を「外国の神を拝んだため」として蘇我氏を非難。
仏教を廃止するように天皇に迫ります。
欽明天皇はこれを承諾。
寺が燃やされ仏像が捨てられます。
こうして、しばらくのあいだ、日本では仏教が普及しませんでした。

571年。
欽明天皇は病で倒れ、「新羅を打倒し、任那を再興せよ」と言い残して亡くなりました。