江戸の放火罪は火あぶりの刑。12歳の放火犯に下された判決

この話の主人公は12歳の少年・喜三郎。
裁判の場にいた全ての大人が何とかしたいと思った、12歳の放火犯です。
彼の運命は自身の供述にかかっていました。

少年 喜三郎の犯罪

京・西陣の生まれでとても利発な子供だった喜三郎。
しかし、家が貧しく、小石川伝通院前の「くすし(薬師/医者のこと)」のところへ年季奉公に行くことになりました。
喜三郎が11歳のときのことです。

主人は若いながら一生懸命働き、才能もある喜三郎を気に入っていました。
彼は、将来は医術や薬の使い方や調合についても教えて喜三郎を一人前にしてやろうと考えていたそうです。
しかし、喜三郎が働き始めてから3ヶ月ほど経ったある夜。
彼は主人の家に放火しました。
火が燃え上がるのを眺めていた喜三郎を近所の者が発見。
そして、「何か企んでのことではないとは思うけれど、厳重に注意してください」と主人の薬師に引き渡しました。
主人は驚くこともなく、子供のことだから事を荒立てないで欲しいと近所の者に口止めして帰ってもらいました。

喜三郎の放火の理由

しかし、このことは近所に広まりました。
人々が薬師に、「このままではいつかあなたの災いになるから、早く評定所に訴えなさい」とうるさく言いました。
主人は仕方なく形だけでも訴えることにしました。
評定所には老中、寺社・両町奉行などが揃いました。
彼らは、まだ幼い子供の喜三郎の礼儀正しい立ち居振る舞いを見て、心の中ではどうかして喜三郎を助けてやりたいと思っていました。

吟味では、「放火犯が他にいて、喜三郎への疑いは誤解ではないか」と問いかけました。
しかし、喜三郎は「全て自分が一人でやった」と答えました。
そんな言葉を信じたくない吟味方は、「そんなわけがない。放火を教えた者も許すと保証するから、白状しなさい」と諭すのでした。

そこで、喜三郎は犯行動機を説明。
「薬師に雇われたときに、きちんと働けばくれると約束してくれた衣類などを一向にもらえず、持っていた蓄えもなくなりました。
誠意のない主人を恨んでいます。
こんな道に外れた人は、思い知らせなければならないと思ったので、放火しました。
他の人には全く関係ありません」
と明言しました。

明白過ぎる自白に悶絶する大人たち。
その場にいた人々は、喜三郎のあまりの愚かな正直さに手に汗握り、悶絶しました。
放火犯は火あぶりの刑となるのです。
このままだったら無残に殺されてしまう喜三郎。
奉行を含め、裁判の場に居る全ての大人たち全てがなんとかして助けてやりたいと思う中、理路整然と放火の動機を話すのは、やはり幼い者の知恵の無さでしょうか。

あきらめきれない奉行は、「幼くてもそのような自白をすれば、罪が死に値することをわかっているのか」「火の中で焼かれる覚悟があるのか」と問いかけました。
それに対し、喜三郎は毅然として「自分で放火をしたわけですから、水におぼれようが火に焼かれようが仕方ありません。犯した罪への罰は、法に従って行なってください」と言ってのけました。
このような明白な自白では、判決を下す者が刑を軽減させてやりたくても、方法がありません。
裁判は決着してしまい、喜三郎は火刑を執行されてしまいました。

この薬師の主人は悪い人物ではなく、むしろ喜三郎のことをよく考えてやっていました。
しかし、彼との約束を破ったことも事実でした。
少年の指摘は正しく、認識のずれが犯罪のきっかけになってしまった、悲しい江戸のお話でした。