結婚相手は「自分より強い男」。長身イケメン剣士・中沢琴

幕末の動乱の時期に佐幕派、尊皇攘夷派と活躍した人々のほとんどは男性。
剣が物を言う時代でしたから、女性はなかなか時代の表舞台に立つことはできませんでした。
しかし、その中で剣客として爪痕を残した女性がいます。
それが中沢琴(なかざわこと/1839年頃~1927年)です。
彼女についての資料は多くありませんが、
『群馬国人記』という上毛郷土史の人物小伝集に、こんな記録が残されています。

中沢琴の生い立ち

中沢琴は現在の群馬県利根郡の出身です。
幼少時より父である中沢孫右衛門に刀や長刀を学び、特に長刀は父に勝るほどの腕前でした。
2,3歳上の兄・貞祇(さだまさ)と同様に法神流の剣の達人であり、
さらに、長刀や鎖鎌の達人だったという武芸オールマイティな女性だったようです。

中沢琴の身長は五尺六、七寸。
つまり約170㎝。
現代の日本女性としても背は高いですが、江戸時代なら男性を含めても長身です。
そして、面長で目鼻立ちが整ったかなりの美人。
のち、琴は江戸の警備組織・新徴組で働いた際、男性ばかりの集団の中で、目立たぬよう男装していました。
何も知らない他人から見れば、琴は腕の立つ長身イケメン剣士に見えたので、
どこへ行っても女性からの人気は絶大でした。
逆に、男装を解いた女の格好のときは、高身長でも美人でしたから、今度は多くの男性から言い寄られていたようです。

武士としての琴の人生

1863年。
琴は兄・貞祇と共にある浪士隊に参加しました。
それは、庄内藩の志士である清河八郎が幕府に献策して集めた、第14代将軍徳川家茂上洛の護衛のためのものでした。
ただ、女性だったためか非公式での参加で、公式名簿の中に彼女の名前を見つけることはできません。

この浪士隊は、徳川家茂を守るためではなく、尊皇攘夷の実行のために清河八郎が幕府を騙して集めたものでした。
彼は上洛するとすぐに浪士隊のメンバーを集めて本当の目的を伝え、多くの浪士と共に江戸へ舞い戻ってしまいました。
中沢兄妹も江戸へ戻り、のちに幕府の警備組織・新徴組に参加。
幕府への裏切り行為をした清河八郎は、江戸ですぐに暗殺されていました。

新徴組で琴はかなり活躍したようです。
戊辰戦争のきっかけとなった新徴組の「薩摩藩江戸藩邸焼き討ち」にも加わり、その際に左足のかかとを斬られた記録が残されています。
やがて幕府が瓦解して新徴組が庄内藩へと移った時、容赦ない官軍の攻撃の中でも琴は奮戦。
官軍数十人に囲まれても2,3人を切り伏せて敵中突破したと言われています。

戊辰後の中沢琴

戦後、琴が兄の貞祇と共に故郷に戻った時は既に30歳半ば。
婚期を過ぎていましたが、男装をする必要のなくなった彼女の美しさは明らかで、多くの男性から求婚されました。
しかし、その時彼女が結婚の条件としたのが「自分より強い男」。
男たちは次々と彼女に試合を挑みますが、多くの実戦経験のある琴に勝る人物はついに現れることはありませんでした。
酒を飲んだときには詩を吟じ、剣舞をしたという琴は生涯独身を通し、1927年10月12日に亡くなっています。

新選組とニアミス?

中沢琴が最初に清河八郎の浪士隊に応募したとき、集まってきた浪士たち約230名の中に、新選組創設メンバーである近藤勇、土方歳三、芹沢鴨、沖田総司などもいました。
もしかすると、琴も彼らと言葉くらい交わしたかもしれません。
話をしたのなら、どのような内容だったのか?
想像してみるのも面白いですね。
浪士隊として集まった後すぐ、新選組メンバーは京都に残り、中澤琴は江戸に戻り、徳川幕府を守るためにそれぞれの幕末を戦うことになりました。