天下の秀吉に会える!庶民参加型の茶会を開いた結果・・・。

1587年。
関白太政大臣・豊臣秀吉は京の北野天満宮境内で大規模な茶会を行いました。
これを「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」または「北野大茶会(きたのだいさのえ)」といいます。
茶の湯に興味のある者は、庶民から大名に至るまで、身分の分け隔て無く参加出来るという画期的な催しでした。
そういえば、1581年には織田信長も「京都馬揃え」という武将たちとその愛馬のお披露目パレードを行ったものです。
さて、派手好き茶の湯好きの秀吉がいかにもやりそうなこのお茶のイベントですが、当初10日間の予定が、たった1日で終了してしまいました。
どうしてなんでしょう?

北野大茶湯の目的とルール

このイベントの目的は、もちろん豊臣秀吉の権威を示すこと。
その年、秀吉は7月に薩摩の島津義久(よしひさ)を降伏させ、九州から凱旋してきたばかり。
早速諸大名、公家、京都・大阪・堺の茶人などに茶会の通知を出し、京都市中にも高札を掲げました。

【内容】
・秀吉が持っている自慢の名茶器、名茶道具を展示。
・参加者は何か一つ茶道具かそれに代わるものを持ってくれば、身分は問わない。
・座敷となるのは、北野の森の松原に用意した2畳分のスペース。服装は自由。
・茶の湯が好きなら中国からでも参加はOK。
・遠方から来る人にも考慮して開催は10日間。
・秀吉が直々にお茶を点ててやるぞ!
・こんなすごい茶会の機会を逃す者は、二度と茶の湯をやってはいけない。

そして大茶湯の演出担当は秀吉の茶頭(さどう)として活躍中の茶聖(ちゃせい)・千利休でした。

北野大茶湯の見どころ

秀吉は大ハリキリです。
会場には「組み立て式黄金の茶室」を持ち込み、そこに40点もの自慢の茶道具の名物を陳列。
茶菓子の用意も怠りません。
注目の茶席は4つありました。
それぞれ秀吉、千利休のほか、津田宗及(つだそうぎゅう)、今井宗久(いまいそうきゅう)という茶道界のトップを茶頭として迎え、来場者には身分を問わずに公平なくじ引きで、4人のうちの誰かが茶を振る舞ってくれるというドキドキの趣向でした。

大茶湯 当日

北野の森には、数多くの茶湯所が設けられ、1000人もの人々が訪れて茶を楽しみました。
秀吉は自ら茶を点てたり、会場を見物したりなど上機嫌だったそうです。
ところが、2日目以降の茶会は突然中止となり、イベントは1日で打ち切りとなってしまいました。

【中止の理由】
10日間のイベントの予定がたった1日で中止になったその理由は、はっきりしていません。

・肥後国人一揆が発生したために秀吉の機嫌が悪くなったから
・秀吉が1日で満足してしまったから
・単なる秀吉の気まぐれ
・秀吉が数百人に茶を点てるのに疲れてしまったから
・当初の予想よりも人が集まらず、予定通り続けて企画の失敗が露呈するのを避けるため

上記の理由が考えられています。

織田信長の「京お馬揃え」に集まった顧客は約20万人でした。
今回、天下の豊臣秀吉が庶民にも直接茶を点ててやるという希有な機会のわりに、1000人という来場者の数は少ない気もします。
秀吉は庶民に人気があったと思われがちですが、それは江戸時代以降のことです。
当時どれほど秀吉が庶民に人気があったのかは疑問です。
政治家が点てる茶など庶民には魅力がなかったのかもしれません。
茶会に行くつもりで参加できなかった人々はがっかりでしょうが、一番がっかりしたのは豊臣秀吉その人だったかもしれません。