日本国憲法は誰が作ったのか?

<出典:wikipedia

日本国憲法は、GHQ(連合国軍総司令部)つまりアメリカが作った押し付けの憲法。
敗戦国日本はアメリカに骨抜きにされた。
そんな考えがあります。
果たしてそれは本当のことなのでしょうか??

なぜ1946年に新しく日本国憲法が必要だったのか?

1945年ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏した日本。
宣言された13の条項には「日本軍の無条件降伏」「基本的人権の尊重」などの考えが含まれました。
そして、日本政府にはそれまでの憲法を改正して新しい日本国憲法を作ることが義務づけられました。

日本国憲法の作成をGHQに指示された日本の幣原(しではら)首相は、国務大臣である松本烝治(じょうじ)を委員長とする憲法問題調査委員会(松本委員会)に草案作りを命じました。
ところが、松本委員会が作った草案が毎日新聞にスクープされ、その内容が明治憲法とほとんど変わらない憲法草案だということが判明したのです。
GHQは非常に保守的な松本委員会に不安を感じました。

実は、連合国側のうちソ連・中国・フィリピン・オーストラリア・ニュージーランドは、日本は天皇制を廃止して共和制を敷くべきとの主張していました。
しかしアメリカは半年ほどの日本での占領期間中に、日本の天皇制の特殊性や重要さを理解し、彼らとは異なる立場を取っていました。
「天皇制を廃止すれば日本は大混乱に陥り、うまく占領統治出来ない」
アメリカは天皇制を残した憲法を早急に作るべきだと考えていました。
GHQに思惑があったとすれば、その点です。
連合軍最高司令官マッカーサーは、ソ連などに掻き回される前に早く憲法を作りたいと考えました。
そこで、日本のひどく保守的な松本草案を修正するのではなく、GHQが草案を作って見せることにしました。

マッカーサーノートから草案作りへ

早速マッカーサーは、憲法起草案責任者であるホイットニー民政局長に「マッカーサーノート」と呼ばれる、憲法起草のための3原則を渡しました。

・天皇は国家の元首
・戦争放棄
・封建制度の廃止

ホイットニー局長以下25人のメンバーは、上記3つの内容を含んだ新しい日本国憲法の草案をたった一週間で作ることになりました。

極秘作業を命じられたメンバーたちは、密室の中で世界各国の憲法を参考にして草案を作成し、2月13日に日本に提示。
松本案の修正ではなく、全く別の草案の登場に驚きとまどう日本政府にGHQはその受け入れを強く要求します。
承認しなければ天皇を軍事裁判にかける、原子力が日光浴しているぞ、などという脅し文句もあったそうです。
これらの言葉は、原子爆弾を落とされて敗戦したばかりの日本には充分過ぎる強さがありました。

2月22日に日本政府は受け入れを表明。
その後、日本からの草案修正を加え、松本烝治とケーディス民政局行政課長とが激論を戦わせながら、なんとか3月5日に憲法を完成させたのです。
新憲法は閣議の通過、天皇の承認を経て3月6日にはマッカーサーの了解を受け、発表となりました。
国民には、3月7日付の新聞発表で内容が知らされ、好意的に受け入れられたといいます。
その後憲法は正式な手続きを経て、11月3日に公布。
1947年5月3日が日本国憲法施行の日となりました。

誰が作った憲法か、という言葉の裏側

さあ、この日本国憲法を作ったのは誰でしょうか。
松本草案を無視したGHQが作ったという見方があります。
ただ、連合国の中でも意見が割れた天皇制については、アメリカが先導して日本の考えを尊重したものです。
また、日本とアメリカの激論の末、日本が認めた憲法でもありました。
そして公布後は日本国民が好ましく受け入れていたのも事実です。

問題となるのは、「日本国憲法はアメリカが作った」という言葉の裏の意味です。
そこには、おそらく内容を論議する以前に、「日本人が作った日本の憲法ではないから、日本人が作り直さなければならない」という憲法改正を目的としたロジックがありそうです。
現在、集団的自衛権行使を目的とした憲法改正を求める声があります。
安易なナショナリズムを根拠とした憲法改正ありきの議論ではなく、憲法の中身が論議されるよう、国民一人一人の日本国憲法への理解が求められています。

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