歴史に残るキリシタン女性

<出典:wikipedia―五郎八姫

戦国から江戸にかけて存在した日本人のキリスト教徒を「キリシタン」と呼びます。

江戸時代になりキリスト教が禁止されるまで、日本には多くのキリシタンが生まれました。

有名なのは、天草四郎、支倉常長、大友宗麟、高山右近…などです。

しかし、男性ばかりではなく女性のキリシタンもいました。

今回は戦国から江戸にかけて歴史に名を残したキリシタンの女性たちを紹介します。

細川ガラシャ

細川ガラシャは本能寺の変で織田信長を討った明智光秀の娘です。

細川忠興に嫁いでいましたが、忠興は美しい妻が他の男の目に入るのを恐れて、幽閉や軟禁といった束縛をします。

細川忠興は書画の才能に長けた人物でしたが、激しい気性と嫉妬心の持ち主でもありました。

ガラシャの姿を見た庭師の首を刎ねて、食事中のガラシャの目の前に置いたという話まで存在します。

しかし、ガラシャも怖がることなく食事を続けていたというから、なんとも恐ろしい夫婦です。

さて、このような夫に束縛され、元々侍女の影響でキリスト教に興味を持っていたガラシャは、ますますキリスト教に傾倒していきます。

そして1587年にキリスト教が禁止されると、逆らうようにキリスト教に入信してしまいました。

 

秀吉亡き後の1599年。

石田三成と徳川家康の対立が表面化し、家康側についた忠興が「何があろうとも石田側の者に捕まって人質になってはいけない」と言い含め出陣しました。

しかし、細川家の屋敷は石田側の兵に襲撃され、ガラシャは夫の言いつけ通り人質にならないよう、家臣に胸を突かせて死にました。

キリスト教では自殺を禁止していますので、このような自害の仕方になったのです。

謀反人の父、嫉妬深く束縛の激しい夫という逃げ場のない人生の中で、キリスト教に救いを求めたのかもしれません。

ジュリアおたあ

彼女は厳密には日本人ではありません。

文禄・慶長の役の際に小西行長が朝鮮から連れて来た、朝鮮貴族の娘です。

日本に連れて来られた頃はまだ幼かったため、小西行長の妻・ジュスタによって育てられました。

小西夫妻はキリスト教徒でしたので、彼女も多大な影響を受けて入信しました。

 

関ケ原の戦いで西軍についた小西行長は、西軍の敗北により斬首に処せられます。

それによりジュリアは保護者を失いましたが、家康に保護され、伏見城の侍女として働きます。

ジュリアはとても美しく賢く、真面目な女性で、昼はバリバリ働いて、夜は聖書を愛読…女性がこぞって欲しがる装飾品より数珠や聖書を欲しがるストイックな生活をしていたそうです。

敬虔なカトリックであったジュリアの影響でキリスト教に入信した家臣や侍女は多かったといいます。

そんなジュリアの気に入った家康は、側室にならないかと口説きますが、信仰に生きている彼女は家康の要望を断ってしまいました。

やがて家康はキリスト教を全国的に禁止し、棄教しないキリシタンを追放していきました。

1612年。

ジュリアも伊豆大島に流刑にされましたが、彼女の信仰心が周囲に及ぼす影響を恐れて、さらに遠い神津島に流されました。

1617年に長崎にいたという史料が残っていますが、その後の彼女の足跡は不明です。

一部の説では、神津島で没したとも言われています。

五郎八姫

すごい字を書きますが、これで「いろは姫」と読みます。五郎八姫は伊達政宗の娘で、徳川家康の息子・忠輝と結婚しました。

しかし忠輝は、様々な失敗から家康と兄の秀忠に嫌われ、ついに改易されてしまいます。

様々な理由が囁かれていますが、その中に「妻の五郎八姫がキリシタンで、忠輝もその影響を受けていた。禁教令に反するから」という説があります。

五郎八姫がキリシタンだったという話は有名ですが、どういった経緯で入信したかは定かではありません。

母の愛姫が一時期キリシタンだったから、その影響を受けたという話もあります。

 

忠輝が改易され、五郎八姫は離縁されてしまいます。

当時は離縁された女性は尼になるか再婚するのが当たり前でしたが、五郎八姫はキリスト教の教えを守り、剃髪も再婚もしませんでした。

娘を可愛がっていた政宗によって仙台で保護され、68歳で亡くなりました。

実は仙台藩は、隠れキリシタンが非常に多かったと言われています。

今でも宮城県の一部の地域では、それらしき伝承や遺物が残っているのです。

政宗はキリスト教に対して寛容だったと言われていますので、五郎八姫は母・愛姫より父の政宗から影響されたのかもしれません。

おわりに

キリシタン女性を紹介してきましたが、男性のキリシタンとは異なった生き方をしていたのだと見てとれます。

彼女たちはいずれも高貴な身分で教養もあり、非常に真面目でした。

そして、夫や父や兄弟がいつ命を落とすか分からない日々を過ごしていました。

現代にはない、死が身近にある世の中だったからこそ、男を支える女たちはキリスト教に救いを求めたのかもしれません。

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