明治時代|1905年 奉天会戦

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奉天会戦は1905年3月1日から10日間かけて行われた日露戦争最後の会戦。

この戦いで日本軍は大勝利。

世界の常識を変えました。

圧倒的に不利だった日本軍

当時、ロシアと日本の陸軍には天と地ほどの差があり、世界中の人々が日本に勝ち目がないと考えていました。

ロシアが率いるのは世界最強といわれるコサック騎兵

それに対して、日本は明治になって急いで育てた騎兵隊。

江戸時代の間は騎兵部隊の必要もなかったので馬の輸入からはじめる必要があり、とてもロシアに対抗できるような軍隊ではありませんでした。

そんな状況で、日本騎兵創設者、秋山好古は考えます。

このまま騎兵隊をぶつけてもロシアには勝てない、・・・と。

そこで考えたのが、銃で馬ごと倒してしまうこと。

コサック兵が現れたら、すぐに馬から降りて銃で馬ごとなぎ倒すという作戦に切り替えます。

今にしてみれば、当然の作戦かとも思えますが、当時としては画期的。

特に、秋山好古は騎兵の創始者ですから、これまでの自分を完全に否定するような作戦だったんです。

さらに秋山は、ヨーロッパで発明されたばかりの機関銃を採用します。

機関銃は「悪魔的兵器」と噂されていましたが、当時戦場でどの程度の効果を発揮するか未知数でした。




コサック騎兵 vs 日本騎兵

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さて、世界最強のコサック騎兵との戦いがはじまると、結果は日本軍の圧勝。

黒溝台での戦いで、機関銃の前にコサック騎兵は次々と倒れていきます。

こうして、機動力から重要視されていたコサック騎兵は、ついに前線に現れることはありませんでした。

コサック騎兵を封じ込めた秋山騎兵集団。

騎兵本来の利点である機動力を上手く使いロシアの後方かく乱にも成功します

また、敵陣深くに進み、ロシア軍の中心部にも襲いかかります。

たった三千の兵力しかないのに、猛攻を続ける秋山軍。

これに恐怖したクロパトキンはロシア軍に総退却を命じます。

日本軍は逃げるロシア軍を追撃し二万人のロシア兵を捕虜に。

奉天会戦での日本の勝利が決定的になります。

世界が驚く!戦いの常識が変わる

世界中が日本とロシアの戦争を見守っていました。

そして、日本軍の勝利に驚愕。

まるで、奇跡でも見ているような気持になります。

戦争が終わり真実が分かると、それまで「陸軍の華」として重宝されていた騎兵は衰退し、代わりに機関銃に負けず機動力のある戦車が主流になっていきます。

ちなみに日露戦争で日本が勝利できた理由の一つに、指揮官がみな維新の戦いや西南戦争を経験していたことがあげられます。

戦争を経験した指揮官たちは教科書通りの作戦だけでなく、勘を頼りに常識破りの戦法を次々と打ち出し劣勢を覆していきます。

特に黒木将軍は軍事史上類を見ない一個師団2万人による夜襲を実現させています。

これに付き添っていた、ドイツの武官ホフマンは作戦後、「将軍、私はこれほど尊い教訓を受けたことがありません」と感謝したといいます。