明治時代|1895年 下関条約を結ぶ

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日清戦争に日本が勝利すると、1895年に下関講和会議が開かれました。

ここで決まったのは、大きく分けて3つ。

1、朝鮮の独立承認
2、遼東半島・台湾島の割譲
3、賠償金2億両の支払い

こうして、朝鮮は独立し大韓帝国が成立しました。

実は、朝鮮に皇帝が誕生して独立国家ができたのは、この時が初めて。

いままでは、皇帝ではなく国王しかいなかったのです。




皇帝と国王の意味

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中国の思想では秦の始皇帝以来、「皇帝」は天下に一人だけと考えられていました。

そして、中国以外の土地を納める「国王」はみな皇帝の臣下であるという建前をとっていました。

もともと、こういった思想なので、外国と貿易という考えもありません。

貿易のような形をとっているものは全て、「何一つ欠けているところのない我が帝国に貢ぎ物を持ってくるのなら、恩恵として物品を与えよう」ということで成立していました。

だから、西洋諸国の外交使節も臣下の礼をとらないと皇帝に会うことができず、中国から物品を輸入できなかったのです。

しかし、唯一の例外が日本でした。

日本が最初に使者を送ったのは聖徳太子の時代。

このとき、日本は天皇のことを日本皇帝と名乗ります。

もちろん、当時の中国(隋)の皇帝は腹を立てますが、どれだけ腹を立てても相手は海の向こうなので手を出せない。

そのため、日本はそのまま皇帝(天皇)として通すことができました。

 

朝鮮の独立

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海に守られていた日本と違い、朝鮮は中国と地続き。

そのため、生き残るには中国の属国になるしかありませんでした。

それが、日清戦争によりはじめて独立し、「大韓帝国」となります。

しかし、1910年。

日韓併合により、朝鮮の独立はわずか十数年で終わってしまいます。