戦国時代|1584年 小牧・長久手の戦い

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1582年に明智光秀を討ち、翌年に柴田勝家を滅ぼした羽柴秀吉は、たった一年で信長よりも広大な領地を獲得します。

11月になると大阪城を築きはじめ、天下統一へと歩みを進めます。

 

しかしここで最大のライバル、徳川家康との戦いが起こります。

それまで、秀吉と家康は表向き友好関係を築いていました。

しかし、秀吉と織田信長の次男の信雄(のぶかつ)の関係が悪化すると、信雄は家康を頼り、秀吉と家康の戦いに発展します。

 

1584年。

徳川家康は尾張の小牧山を占領。

秀吉は先手を取られてしまいます。

秀吉は長宗我部軍(ちょうそかべぐん)と雑賀(さいか)・根来(ねごろ)衆の大阪城攻撃に対する備えを強化しなくてはいけなかったため、なかなか動けず、家康が小牧山に陣を構えて半月後にやっと犬山城に入ります。

 

秀吉軍の池田恒興(つねおき)と森長可(もりながよし)は徳川の陣地を迂回して岡崎城を奇襲しようと試みます。

しかし、この動きを察知した家康軍に背後を突かれ、長久手で全滅。

敗戦を聞きつけた秀吉はすぐに攻撃に向かいますが、家康はすぐに清州城に戻って守りを固めます。

そのため、秀吉も引き返さざるを得ませんでした。

負ける戦いをしない!2人の戦争名人

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お互いに鉄砲を所有している秀吉軍、家康軍。

強引に攻めても長篠の戦いの二の舞になることが分かっているので、両者にらみ合ったまま動きません。

お互いに戦争の名人だから無理もせず、秀吉はこのまま睨み合っていても仕方がないと考え、大阪城に戻ります。

 

大阪城に戻ると、標的を織田信雄の領地に変えます。

伊勢長嶋城を囲まれた信雄は降参し、講和を結ぶことに成功。

これにより、信雄を助けるという名目で戦い始めた家康は戦う理由を失ってしまいます。

 

この戦いで家康は、長久手で勝利をおさめ、秀吉側の武将・滝川一益(たきがわかずます)を降参させています。

しかし、周囲からは秀吉優勢だとみられていました。

そのため小牧・長久手の戦いが終わると、家康はしぶしぶ秀吉の講和にも応じ、秀吉の下につくことになります。