室町時代|1408年 足利義満の急死

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足利義満は1379年に北小路室町に花の御所と呼ばれる優雅な御殿を作ります。

この地名から室町幕府と呼ばれるようになります。

室町幕府では公家と幕府の差が曖昧でした。

これは義満自身が宮廷での出世を望んだためで、武家の棟梁でありながら公家の支配者にもなろうとしたのです。

義満は南朝の残党を神社仏閣詣で(じんじゃぶっかくもうで)と莫大な寄付で味方につけますが、武力を持たない公家に対しては高圧的な態度をとり恐れられます。

 

さらに義満は自分の子を天皇にして、自らが太上天皇になろうという野心を抱きます。

 

後小松天皇の母が重い病気にかかると、その代わりとして自分の妻を准母にします。

これにより、義満自身は「天皇の母の夫」という地位を獲得。

太上天皇ということになります。

その後、義満はついに息子義嗣(よしつぐ)を天皇にします。

義嗣は天皇の養子だったので、これを止める力は皇室にも公家にも武士にもありませんでした。

・・・、ところが。

義嗣が儀式を行い元服した2日後。

義満が急に咳きこみ発病。

10日後に亡くなってしまいます。

 

義満の急死により、血のつながらない子供を皇位につけるという異例の企ては、あと一歩のところで実現せずに終わりました。




公家をこき使った室町幕府

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室町幕府と鎌倉幕府の大きな違いは公家を徹底的にこき使ったことでした。

鎌倉幕府では公家や朝廷と一定の距離を保っていましたが、室町幕府では公家をこき使いました。

公家とは本来天皇に奉仕する存在であって、天皇以外に仕えることはありません。

なので、天皇以外の権力者に仕えることは、その権力者が皇位を窺うものであることを示すことにもなります。

自ら皇位を獲得しようとした平清盛。

それ以上の野心を抱き子供を皇位につけようとした足利義満。

どちらも直前に病で急死したため、「天佑神助」(天と神のたすけ)ともいわれました。