江戸のワンルーム「長屋」の魅力をご紹介!

<出典:wikipedia

はじめに

近世の世界三大都市といえば、パリ、ロンドン、そして江戸だったといいます。

しかも、江戸の町はヨーロッパの都市よりも人口が多く、当時世界唯一の百万都市となっていました。

地方から大量の人々が流入し、みるみるうちに人口が膨れ上がっていったのです。

それだけ多くの人口を養うためには産業や食料、都市のインフラなどが充実していたことも理由として挙げられますが、住居も大きな要因です。

ただでさえ狭い国土に人口が密集すると、居住スペースの確保と家屋の建設も一筋縄ではいかなりますが、そこで生み出されたのが、時代劇などでもよく目にする「長屋」です。

長屋とは一続きになった横長の平屋建てを壁で細かく仕切り、それぞれに居住できるようにしたいわゆる「ワンルームアパート」のようなものでした。

大家が管理し、居住者たちは店子(たなご)と呼ばれてある種のコミューンを形成していました。

そんな江戸のワンルーム、長屋についてご紹介したいと思います。




九尺二間とは

長屋のことを「九尺二間(きゅうしゃくにけん)」と呼び習わすことがあります。

これは部屋の寸法をさす言葉で、九尺(約2.7m)の間口に二間(約3.6m)の奥行きをもっていることを意味しています。

玄関はなく、入り口の引き戸を開けると一畳半ほどの土間が設けられています。

普通はここに流しや竃(かまど)があり、台所を兼用しているパターンが多いようです。

土間の向こうにはやや高くなった四畳半ほどの部屋があり、ここが生活スペースとなります。

四畳半とはいえ、当時の畳の寸法ですので現代のアパートでいえば六畳ほどの広さに相当するともいわれ、ここに家族連れで住まうことも普通でした。

長屋は快適なワンルームだった

長屋の発達は江戸の人口の爆発的な増加によりましたが、当時は単身者の男性が非常に多かったこともそのニーズの一因となっています。

入居時には竃がない、つまり自炊を前提としていなかったことが普通だとされ、外食をするか簡単な調理は七輪や火鉢で行ったようです。

日用品や食料も、移動販売の「棒手振り」が毎日巡回してくるため買い物には事欠かず、比較的便利な生活をしていたと考えられています。

また、江戸の町は非常に火災が多かったことで知られていますが、長屋の造りは防火を徹底するのではなく、火事が起こることを前提として、大量に調達できる規格の安価な建材を用いていることも特徴のひとつです。

トイレは屋外に共同のものがあり、水は上水道の井戸が完備されていました。

「井戸端会議」という言葉もここから発生したものと考えられています。

長屋は簡素ながらも充足した自分の城として、快適なワンルームであり続けたのです。