平安時代最凶の盗賊、袴垂(はかまだれ)

はじめに

かつて平安の都に袴垂(はかまだれ)という盗賊がその名を轟かせていました。

数々の悪事を重ね、彼には懸賞金が掛けられほどだったと言います。

今回は『今昔物語』『宇治拾遺物語』『続縁古事談』や歴史史料にも登場する、ある袴垂という男の話です。




袴垂とは?

さて、袴垂というのは本名ではありません。

本当の名は藤原保輔(ふじわらのやすすけ)と言われています。

藤原保輔は平安時代中期の人で、右京大夫・藤原致忠(ふじわらのむねただ)の子です。

日本の主要な氏族の系図をまとめた『尊卑分脈』にもその名は記されており、勤めた官職の名前を並べた後に「本朝第一の強盗の大元」だと記されています。

袴垂保輔の罪歴

官人だった藤原保輔ですが、彼の悪行はかなりのものでした。

貴族が集まる宴会で傷害事件を起こしたり、自分の兄を捕まえた検非違使を弓で射たり、貴族の屋敷への強盗するなどの罪を重ねています。

『今昔物語』にはその袴垂の人物像を
「肝っ玉が大きく、腕力も強く、足も速く、腕も利き、頭も良かったので、世に並びなき人物だった」
とまるでヒーローのような持ち上げています。

しかしなぜか彼はその才能を他には使わず、隙を窺っては人の持ち物を盗むことばかりに使って泥棒稼業を続けていたのでした。

『今昔物語』には藤原保昌(ふじわらのやすまさ)という男の剛胆さを示す話しに、脇役として袴垂が登場します。

追いはぎを試みた袴垂が、保昌にやり込められて、最後には彼の家で衣服を与えられて畏れ入る、という話です。

 

『宇治拾遺物語』には、保輔が自分の家の蔵の床下に穴を掘り、商人を蔵に呼んで商品を買ったあとに、穴の中に次々と商人を突き落として殺していたという説話もあります。

かなり残酷なこともする男だったようです。

 

そんな彼も一度は捕まえられて獄舎に入れられました。

しかし、大赦があって世の中にでてくると、その途端に人を殺して衣服や武具、馬を奪ってしまいます。

そしてすぐに仲間を集めて20~30名の徒党を組み、強盗集団を結成しています。

切腹第一号の袴垂保輔の最期

やがて、袴垂保輔にも検非違使という警察の役目をする役人たちの手が伸びます。

彼を捕まえた者には恩賞が出ると発表され、保輔は手下に密告されてしまいます。

なんとか追っ手から逃げ剃髪・出家しましたが、代わりに父親の致忠が捕まえられて、拷問に掛けられ、ついに保輔も捕縛されて獄に繋がれてしまいました。

保輔は捕まる際に自分の腹部を刀で切り、腸を引きずり出して自害を図ったといいます。

そして翌日、その傷がもとで獄中死してしまいました。

これは、記録に残る日本最古の切腹の事例だったということですが、その死にざまはかなり悲惨だったようです。

988年のことでした。

袴垂と藤原保輔

袴垂は実在した平安時代最凶の盗賊。

藤原保輔についても藤原一族のメンバーでありながら、かなりの悪事を働いた人物らしく、二人とも実在し、活動時期がほぼ一致していることもあって同一人物と考えられています。

彼らの生き方にエンターテイメント性があったのか、いろいろな説話が残されており、史実と創作が混ざってしまっています。

ただ、少なくとも平安京がいかに無秩序で危険な都だったかは伝わってきます。