家康をおもてなしせよ! 安土城のフルコース

安土饗応膳

<出典:コロカル

はじめに

戦国時代、接待をするということには、重大な政治的意図がありました。

単純に歓待をするという意味もありましたが、その献立の内容によってもてなす側の経済力や、食材の調達にみる物資の補給能力等を見せつけるチャンスになるからです。

なかでも、天正十年(1582年)の5月15日、織田信長が徳川家康を安土城でもてなしたときの「安土饗応膳」は、その豪華さと食材の多彩さから後世にまで語り継がれるメニューとなったのです。

そんな安土のフルコースとはどのようなものだったのか、概観してみましょう。

当時のフルコースはとても豪華

当時の正式な料理は「本膳料理」といい、多いものでは七の膳まで用意されるという大規模なものでした。

その内訳は、実際に口にするというよりは観賞を目的とした形式的なものが多かったといいます。

しかし安土の饗応膳では家康がすべての献立を口にしたとされ、五の膳と菓子までが付くものでした。

「本膳料理」と名の付く通り、一の膳を表す「本膳」とはご飯と汁物、おかずをそろえた「食事」として供されます。

そして二の膳以降は酒肴、つまりお酒のおつまみとして用意されるものでした。

まずは腹ごしらえをして、それからゆっくりとお酒を楽しみながらさまざまな料理に舌鼓を打つのです。

山海の珍味が丁寧に供された

それぞれのお膳にはどのようなものが供されたか、一部を抜粋してみましょう。

最初に出てくる本膳(一の膳)には、湯引きのタコ・鯛の焼き物・菜汁・膾・鮒寿司・香の物・御飯があり、これだけでも満腹してしまうようなボリュームです。

続く二の膳には、うるかやアワビ、ホヤの冷汁、ハモやウナギの焼き物、そして鯉の汁など魚介を中心とした珍味が並びます。

三の膳には、焼き鳥・鶴の汁・ワタリガニの一種・貝の壷焼き・スズキ汁があり、ここで肉類が登場しています。

四の膳では巻きするめに鮒汁、椎茸に茄子の田楽、シギの壷焼きなどあっさりしたものとややこってりしたものがバランスよく配されています。

そして五の膳は、まなかつおの刺身・生姜酢・ゴボウ・けずり昆布・鴨汁など、おなかに優しそうながらも〆に相応しい満足感のある料理が出されました。

翌朝に供されたとも伝わる菓子の膳には、みの柿や豆飴、花煮昆布や羽二重餅が並び、「から花」という造花もメニューの一つとして記載されています。

 

現代の感覚からしても非常に豪勢な料理の数々ですが、山海の珍味が満遍なく、丁寧に供されていたことがよく分かります。

また、特に注目したいのが五の膳にある「まなかつおの刺身」です。

まなかつおは現在でも高級食材ですが、とても腐りやすく鮮度を保つのが大変なことでも有名です。

交通も保存の方法も限られていた当時において、このような鮮度が命の食材を調達することがどれほど困難であったかは想像に難くありません。

おいしいだけではなく、信長の圧倒的な力を家康は目の当たりにしたことでしょう。