意外すぎる特技、福澤諭吉は「居合」の達人だった

福沢諭吉

<出典:wikipedia

はじめに

「天は人の上に人を作らず」の名言や、一万円札の肖像として有名な人物、福澤諭吉。

慶応義塾を創始したり、「演説」という言葉を初めて用いたり、まっさきに浮かぶ福澤諭吉のイメージは教育者としてのものではないでしょうか。

しかし、もとは武士であり幕末という激動の時代を生き抜いた人物。

サムライとしての姿を感じさせるようなエピソードはあまり有名ではありませんが、諭吉は実は知られざる剣の達人でもあったのです。

 

彼が最も得意としたのは「居合」という武術でした。

意外すぎる諭吉の特技と、剣士としての彼の姿をひもといてみましょう。

そもそも「居合」とは

居合、という武術の名前はよく耳にするかもしれませんが、具体的にどのようなものかはあまり知られていません。

これは刀法の一種で、かつて武士は剣術を「表芸」、居合を「裏芸」として表裏一体のものとして学んだといいます。

居合とは「“居”ながらにして急に“合”する」。

つまり、突然襲撃されたとき即座に迎撃・応戦する技法群を意味しています。

 

居合では「刀を抜いていない状態で敵が突然切りかかってきた」といったシチュエーションを想定。

刀を抜いていく勢いを利用してそのまま切りつける「抜き付け」という技などでカウンターをとる、といった戦法を用います。

ある意味では護身的な要素の強い武術であり、諭吉は特に好んでこの居合を修練したといいます。

諭吉は「立身新流」の達人

では、諭吉が学んだ居合とはどのようなものだったのでしょうか。

中津藩(現:大分県中津市)の大坂蔵屋敷で生まれた諭吉は、青年期までを本国で過ごしています。

そこで出会ったのが「立身新流」という居合の流派で、成人の頃には免許皆伝の腕前をもつに至りました。

この流派の本流は「立身流」といい、現在は千葉県佐倉市の無形文化財に登録されている由緒ある流派です。

特徴のひとつに、柄と右腕を密着させてもろともに左手で握り、刀身を前方に突き出すようにして相手の斬撃を受け流す、という技があります。

かの禁門の変の折り、薩摩藩士らの振るう剛剣を、唯一受け流すことができたと伝えられるのがこの技で、諭吉はそんな守りの堅い居合術を得意としていたのです。

諭吉の生涯の健康法

諭吉は晩年にいたるまで、この居合を修練し続けたといいます。

一日に千本以上も形を行うこともあり、居合用の日記もつけていました。

そのあまりにも激しい稽古がかえって体によくないと医師から警告されたものの、諭吉は居合をやめようとはしなかったそうです。

練習過多による体への負担はともかくとして、居合は呼吸を整え、精神を統一して形を行うため「動く禅」とも呼ばれています。

したがって、適切に行えば優れた健康法ともなるので、現在でも多くの愛好者を擁しています。

諭吉は居合を通じて心身を壮健に保ち、教育者としての旺盛な気力を養っていたのではないでしょうか。