江戸時代の庶民・10代女子の生活はどんなものだった?

<出典:お江戸でござる

はじめに

江戸時代後期、日本に来た外国人は日本人の性病の罹患率と識字率に驚いたと言われています。

性病はともかくとして、260年という長い平和な時代の中で、日本はグルメやファッション、芸術や技術といった文化面が著しく発達していきました。

それと同時に教育にも力を注いでおり、世界では非常に珍しく女性にも男性と同じように様々な教育を受けさせていました。

では、江戸時代の女子たちはどんな教育を受けて青春時代を過ごしていたのでしょうか。




10代は習い事ばかり?

江戸時代は藩によって教育制度が異なり、地域によっては差はありましたが、基本的に「最低限読み書きは出来るようになりましょう」とされていました。

都市部の庶民の場合。

10歳前後で近所の寺子屋に通い、基本的な読み書きを学びます。

これは男女ともに差は無く、丁度良い年齢になったら通わせていました。

12歳ごろから女の子は女性らしい手紙の書き方を学び、活け花、踊り、楽器(三味線や琴など)、和歌、漢詩などの古典文学といった習い事を複数かけ持ちして教養を磨きます。

貧しい家の子は、子守や下女といった仕事をするため実家を離れます。

15~18歳で元服(成人)し、早い子だと縁談話が持ち上がります。

もしくは大奥や大名家へ奉公に出るため受験をします。

今で言うところの就職試験です。

20歳前後に結婚するか仕事を続けるかを選びます。

 

こうして見ると、10代の女子は勉強や習い事に費やす時間が非常に長かったと分かります。

さて、12歳ごろから始まる女性らしい教養を身に着ける教育ですが、女子たちの意欲を刺激したのは『源氏物語』や『伊勢物語』といった古典文学でした。

和歌やファッションの勉強のため……というのもありますが、ロマンチックな恋愛話というのが多感な女子たちにはウケたのでしょう。

『源氏物語』が読みたいから勉強を頑張る!という女子は少なくありませんでした。




江戸時代にも教育ママはいた?

では、なぜ江戸時代の女子は習い事や勉強を早い時期からやっていたのでしょうか。

理由は単純明快。

「良いところにお嫁に行くため」「良いところに働きに行くため」に他なりません。

これは今と変わりませんね。

良いところに娘が嫁げばお家は安泰……良いところに就職できればそこから出世の可能性も……と信じられており、男子以上に女子の方が逆転のチャンスに恵まれていました。

そのため熱心すぎる親だと、朝から晩まで習い事をさせていたといいます。

 

ある滑稽本の中、熱心すぎる教育ママの愚痴をこぼす娘の話があります。

「朝起きて手習い(寺子屋)の先生のところで勉強して、その後は三味線のお稽古。
家に帰って来て朝ごはんを食べたら、踊りのお稽古、次はまた手習い。
お風呂に入って、すぐに琴のお稽古に行き、家に帰ったら三味線と踊りの復習をし、日が暮れたら琴の復習をさせられて嫌になるわ」

娘の将来のためと、ギチギチに習い事を詰め込んで教育をするママは、いつの時代も存在していたのですね。

まとめ

「子供たちが勉強や習い事ばかりで遊べない」というのは、現代では社会問題として取り上げられますが、江戸時代でも似たようなことは起こっていたようです。

しかし、このような教育に対する姿勢が日本の識字率の高さに反映されたのだと考えられます。

同時期の他の国では、まだ女性への教育は不十分でしたし、女は子供が生めればそれでいい、という考え方が一般的でした。

日本の場合は「女でも教養を身に着けることでより良い人生を歩める」という考えがあり、庶民でも手軽に勉強や習い事ができる環境が整えられてきました。

また、働く女性が一般的でしたので結婚せずにバリバリ働いて出世し、充実した人生を歩む女性も珍しくはありませんでした。

 

教育は人生を豊かにするために、必要不可欠のものです。

その土台が江戸時代にはもうすでに出来上がっていたというのは、とても驚くべきことであり、世界に誇る日本人の意識の高さとも言えるでしょう。