江戸のフードファイト! 信じられない大食い大会の記録

はじめに

「大食い大会」というイベントは世界中に、かなり古くから存在しているといわれています。

文字通り、どれだけ多くの食べ物をお腹に納められるかというシンプルな競争ですが、食料がふんだんにある豊かな時代であることの証拠ともいえますね。

単なるパフォーマンスとしてではなく、たくさん食べられることへの感謝と、頑健な身体を持っていることのアピールとが相まって、ある種の豊穣儀礼的な側面も有しています。

現代でも「フードファイト」などといって、大食い大会がなお人気を保っていますが、同じような催しが江戸時代にも行われていたことをうかがわせる記録が残されています。

今回は、そんな江戸時代のフードファイトについてお伝えします。




あの「滝沢馬琴」が記録に残した

江戸時代のフードファイトで最も有名なのが、1817年(文化14年)に両国・柳橋の万八楼(まんぱちろう)という料亭で行われたる「飲食闘會」です。

そのときの事はさまざまな文献に記録されていますが、なかでも『南総里見八犬伝』で有名な作家「滝沢馬琴」らが編纂した書物のものが有名です。

 

この大食い大会では、飯・菓子・蕎麦・鰻・酒の5部門に分かれ、それぞれ食べた量を競ったものですが、鰻については面白いことに枚数ではなく食べた分の「金額」が競われました。

その内訳はにわかには信じられないほど途轍もない量であり、途中でギブアップしたり生死の境をさまよった人もいたとされています。

たとえば、「飯の部」ではご飯68杯に醤油2合というとんでもない記録を41歳の男性が打ち立てた、とされています。

ご飯のお供にそれぞれ好きなおかずを選ぶことができたようで、ほかの選手には唐辛子を58本平らげたという人も載っています。

「菓子の部」では饅頭を50個に羊羹を7棹、薄皮餅30個に加えて茶を19杯という記録が、「蕎麦の部」では二八蕎麦63杯という記録がそれぞれ残されています。

「鰻の部」では1両2分相当額という、少し分かりにくい記録ですが、小串にして400串以上と換算している人もいます。

また、「酒の部」では三升入りの大盃で6杯を飲み干して倒れ込み、目覚めると立て続けに水を17杯飲んだという規格外の記録が残されています。

太平の世ならではのジョークか

これらの飲食量はにわかには信じられず、現実的な数字としては考えにくいものでもあります。

実際には文献類にも真実の記録かどうかをぼかした表現をされているものもあり、豊かな世を象徴するかのようなジョークの側面もあったと考えられています。

このような娯楽的なイベントやニュースを楽しむことができたのは、ひとえに平和の証拠であり、江戸の人々の遊び心と生活のゆとりを示す史料ともなっています。