第2~5代天皇 綏靖天皇~孝昭天皇

文献が残っておらず、歴史的には実在を確認できない天皇。

これが、第2代の綏靖天皇から第9代開化天皇まで、8代続きます。

そのため、この8人を欠史八代と呼びます。

 

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<出典:wikipedia

第2代天皇

 綏靖天皇 すいぜんてんのう (紀元前632~紀元前549)

 

欠史八代のひとり。

綏靖には、庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)と同母兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)がいました。

神武天皇が亡くなると、手研耳命が2人の弟を殺害しようとします。

これを察知した綏靖。

手研耳命を射殺します。

神八井耳命も一緒に射殺を試みましたが、恐怖のあまり矢を放てませんでした。

そのため、神八井耳命は自らを恥じ、綏靖の父に位を譲ります。

こうして、綏靖は天皇に即位することになりました。

 


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<出典:wikipedia>

第3代天皇

 安寧天皇 あんねいてんのう(紀元前577~紀元前511)

 

欠史八代のひとり。

安寧天皇の実績は全く記録されていません。

『日本書紀』によると母は事代主神(ことしろぬしのかみ)の娘であるとされていますが、磯城津彦(しきつひこ)という名前から、磯城県主の娘の川派媛(かわまたひめ)が母であるという説もあります。

また、『古事記』では師木県主河俣毘売(しきのあがたぬしかわまたびめ)が母と記されています。

都を置いたとされる場所も諸説あり、謎に包まれた天皇のひとりです。





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<出典:wikipedia>

第4代天皇

 懿徳天皇 いとくてんのう (紀元前553~紀元前477)

 

欠史八代のひとり。

『日本書紀』では、現在の奈良県橿原市大軽町付近に軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)という宮殿があったとされています。

一方『古事記』では、軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや)とされていて、ここはのちに第15代応神天皇が都にした場所だと言われています。

 


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<出典:wikipedia>

第5代天皇

 孝昭天皇 こうしょうてんのう (紀元前506~紀元前393年)

 

欠史八代のひとり。

懿徳天皇の皇子で、83年もの間在位して、114歳で亡くなったとされています。

『日本書紀』では、現在の奈良県御所市に掖上池心宮(わきがみのいけこころのみや)に都をかまえたとありますが、『古事記』では葛城の掖上宮にましましたと記してあります。

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