戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦。旧海軍の艦艇種別

はじめに

航空機が発達するまえ。

世界各国では国力を示すもののひとつとして「海軍力」の増強に注力していました。

どの国よりも強力な艦艇をより多く保有することが、制海権への優位性を確立する要とされたのです。

それらの主力をなすものは、武装を施された戦闘艦でした。

戦闘艦にも用途や運用思想ごとにさまざまな艦種が登場し、やがて大きなカテゴリーへと分類されるようになりました。

戦艦

軍用の船、といえばまずもって思い浮かぶのが「戦艦」かもしれません。

艦艇の代名詞とも言える戦艦は、大火力をもって戦うことを目的として造られた船です。

大口径・長射程の艦載砲による砲戦を基本戦術とし、厚い装甲で敵の砲弾を防御するという重武装の設計によっています。

艦砲射撃の成否が海戦のゆくえを決定するという、近世以来の運用思想をもっとも色濃く継承するものであり、現代においてはすでに見られなくなった艦種です。

武装重量にともなって艦体は大型化し、速力もほかの艦種にゆずるものの、まさしく海軍の花形として活躍しました。

東寺は戦艦の乗組員として勤務することが誉れだったとされており、「大和」や「武蔵」、「長門」や「陸奥」などが有名です。

空母

空母とは「航空母艦」、すなわち航空機を運用するプラットフォームとして機能する艦のことです。

20世紀初頭に登場した、飛行艇を運用する「水上機母艦」が現在の空母へと至る系譜のはじまりとされています。

やがて飛行艇よりも空戦能力が高い陸上機を運用できる近代的な航空母艦の開発が進み、1922年、世界初の新造空母として日本軍の「鳳翔(ほうしょう)」が完成しました。

 

飛行場が海を移動していく新兵器の登場は、新たな戦術を生み出しました。

「制海権」という言葉に次いで「制空権」という概念が生まれ、強力な航空兵力を洋上に直接展開できることから、航空機の性能も加速度的に向上していきました。

有名な日本海軍の「ゼロ戦」も空母で運用するための「艦上戦闘機」として開発されたものです。

空母を中心として、護衛・戦闘・哨戒等を行う他の艦種をグループとした「機動部隊」という用兵思想を最初に導入したのも日本海軍でした。

「赤城」や「加賀」、「瑞鶴」「蒼龍」などが有名な空母で、大和型の3番艦として計画された「信濃」も途中で空母への設計変更をされたという経緯をもっています。

巡洋艦

巡洋艦はその名の通り、外洋を航行するのに十分な航続力と速力を兼ね備えた艦です。

戦艦よりは火力と装甲、船体の大きさで及ばないものの機動性が高く、空母機動部隊の護衛としても大いに活躍しました。

1921年のワシントン海軍軍縮会議において、各国の戦艦保有数に制限が設けられたことを受け、条約外の規格を満たす海戦力として巡洋艦が盛んに建造されるようになりました。

また、1930年のロンドン海軍軍縮会議では巡洋艦の排水量と主砲の口径に二段階の制限が設けられ、これによって日本海軍では「重巡洋艦」と「軽巡洋艦」というカテゴリーが生まれました。

重巡洋艦では「高雄型」や「最上型」、軽巡洋艦では「天龍型」や「阿賀野型」がよく知られています。

駆逐艦

19世紀の終わり頃、水中を進む自走式の水雷兵器である「魚雷」が完成します。

それまでの海戦では艦砲射撃が有効な攻撃手段であったため、相手よりも長射程・大火力の砲を搭載することが優位性を保つと考えられていました。

ところが、魚雷は一発でも大艦に致命傷を与えることができたため、小型・高速で魚雷を発射して一撃離脱の戦法をとる「水雷艇」が登場します。

艦隊にとって脅威となった水雷艇に対抗するため造られたのが「駆逐艦」です。

その役割は当初の水雷艇にとって代わるものでもありましたが、魚雷や砲による充実した装備と高速・高機動を誇る駆逐艦は、その汎用性の高さからさまざまな任務につきました。

水雷艇だけではなく潜水艦に対抗する対潜哨戒任務や、その船足の速さを活用した輸送任務や撤退作戦にもおおいに活躍したといいます。

現代の海上自衛隊が運用している護衛艦も、多くが「駆逐艦」に分類されています。

旧海軍ではそれぞれ19隻建造された「陽炎型」や「夕雲型」がよく知られています。