日中戦争で急変。ビックリ日用品と仰天代用食!!

すいとん

<出典:wikipedia

はじめに

昭和初期の日本というと、好景気に沸いてモダンガールやモダンボーイといった華やかな若者たちが銀座を闊歩し、豊かな生活をしていました。

このような好景気も1930年代に入ると翳りを見せ始めます。

1937年に起きた盧溝橋事件を発端に、日本は日中戦争に突入します。

すぐに決着すると思われましたが想像以上に長期化し、苦しくなった日本は1938年に「国家総動員法」を制定します。

これは「戦争中だから日本国民の力を総動員して戦争に勝とう」という法律で、国民の生活が厳しく規制され貧しくなっていきました。

では、日中戦争長期化と国家総動員法によって国民の生活がどう変わったのかを見ていきましょう。

ビックリ日用品の数々

日中戦争が長期化すると、資源を節約するために国民の生活に欠かせない日用品の多くは金属製から、他の材料で作られた代用品になっていきました。

例えば、1938年日本橋の三越デパートで開催された「必需物資代用品博覧会」のラインナップを見ると……

・カエルや鮭、ウツボの皮で作られた靴
・鮫皮の野球グローブ
・紙製のハンドバッグ

これ以外にも、岩で作られた服、陶器製の包丁、海藻で作られた着物、セメント製の郵便ポストなど……

どうやって作ったのかがかえって気になるような品々が代用品として用意されました。

不味かった代用食

戦争の泥沼化に伴い、物資不足はさらに深刻化しました。

元々日本は自国の資源が乏しい国ですので、戦争が長期化すれば物資不足に悩まされるのは当然です。

そのような状況で、ついに食料も不足していきました。

 

これまでおこなわれていた自由販売が禁止され、生活に必要な日用品や食料は配給されるようになりました。

主食である米も配給されるようになりましたが、それは微々たるものでほとんどはサツマイモやジャガイモ、大豆ばかりでした。

野菜や肉や魚がどんどん不足していき、やがて代用食というものが登場します。

現代の代用食というと、大豆で作られた大豆ミートやカニそっくりなカニカマを思い浮かべますが、そんな美味しいものではありません。

当時、代用食として登場したのが、トカゲや虫、ヘビなどの爬虫類や虫類でした。

新聞にレシピまで掲載されましたが、実際に一般家庭で食べられていたか定かではありません。

【代用食レシピの例】
トカゲは頭を取って焼いて食べる。
ゲンゴロウの幼虫はハネを取って焼く。成虫は天ぷらにして食べる。
ヘビは内臓と皮を取って塩焼きにする。

これ以外にも現在郷土料理として人気のあるすいとんも代用食として登場しました。

しかしこれも、北関東の郷土料理のような美味しいものではなく、鶏の餌に使われる雑草と一緒に煮込んで塩で味付けしただけという粗末なものでした。

配給と闇市

日中戦争から太平洋戦争にかけて、戦争が泥沼化していけばいくほど日本は貧しい国へと変わっていきました。

「欲しがりません、勝つまでは」の精神が持て囃された時代でしたが、国民すべてが従順だったわけではありません。

食べ物などの物資は闇市で不正に取引され、多くの国民がこの闇市で物資を得ていました。

もちろん、国の方針にきちんと従う人もいました。

あるドイツ文学者は「闇市で取引するなんて国賊だ」と言い、配給だけで6人の子供たちと生活していました。

しかし、やがて配給すらされなくなるほど日本は追い詰められ、このドイツ文学者は栄養失調で亡くなります。

日中戦争から太平洋戦争にかけて、多くの兵士たちが苦しい思いをし命落としましたが、日本国内でも苦しい生活が強いられていたのです。