戦国乱世の薬剤師・徳川家康

戦国の乱世から江戸時代初期にかけて、大名から公家にいたるまで調薬を依頼していた凄腕の薬剤師がいました。

江戸幕府初代征夷大将軍・徳川家康そのひとです。

260年にわたる天下泰平の世をもたらした徳川家康。

実は凄腕の薬剤師でした。

徳川家康はスゴイ薬剤師だった

当時、薬学のことは「本草」といわれていて、投薬治療をおこなう医師のことを「本草医」といっていました。

徳川家康はこの本草医として評価されていたのです。

 

家康が薬学に興味を持ったのは小牧・長久手の戦いのとき。

細菌感染による腫瘍が背中にできてしまい、応急処置では症状が悪化するばかりでした。

ところが軟膏を塗ってすぐによくなったので、薬に対して興味を持つようになりました。

その後、自分自身や身内の体調不良には手ずから調薬しています。

それが評判となって、各大名や公家から調剤の依頼を受けるようにまでなりました。

ちなみに、当時の調薬器具も現存しています。

 

家康が天下を治め、江戸時代が到来。

自室には壁を埋め尽くす「薬箪笥」を設け、そのひとつひとつにさまざまな薬がおさめられていたといいます。

駿府城に隠居してからは「駿府御薬園」という大規模な薬草園を設置して多種多様な薬草を栽培していました。

薬剤師以外にも・・・

関ケ原の戦いに勝利して江戸に幕府を設置して幕藩体制を確立。

さらに凄腕の薬剤師として活躍。

これだけでもスゴイのですが、徳川家康はまだまだスゴイところがたくさんありました。

 

家康は「海道一の弓取り」といわれるほどの弓矢の達人でした。

三方ヶ原の戦いで退却をするとき、騎馬にまたがったまま何人もの敵兵を射っています。

この馬術もなかなかのもので、徳川家康の馬術といえば知らぬ者はいないほどでした。

 

鉄砲の腕前も相当で、100メートルの距離から的を狙うこともできました。

また、生涯にわたって剣術の指導を受けていたといいます。

 

薬学以外の学問にも精通していました。

駿府城で隠居生活を謳歌していたときには、論語・史記・吾妻鑑をはじめとした一万点にもおよぶ蔵書からなる「駿府文庫」を作っています。

 

文武両道を地でいく徳川家康は多趣味でもありました。

健康目的の鷹狩り、猿楽は自ら演じ、囲碁・将棋をたしなみ、さらに新しいものにも興味があり、南蛮の珍品も収集していました。

このあたりは主君であった織田信長の影響もありそうです。

 

ちなみに恰幅のいいおじいさんというイメージが定着している徳川家康ですが、若い頃はいわゆるイケメンであったようです。

派手な甲冑をまとって弓矢を射る姿は、想像以上に様になっていたのかもしれません。