第100代天皇 後小松天皇

Go-Komatsu

<出典:wikipedia

第100代天皇
 後小松天皇 ごこまつてんのう
(1377年~1433年)

1377年。
後小松天皇は、北朝の後円融天皇の第一皇子として誕生し、6歳で第6代北朝天皇に即位しました。

それから10年後。
16歳となった後小松天皇は、南朝の後亀山天皇から神器を受け取って、正式に第100代天皇となりました。

南北朝統一にあたって、足利義満が後亀山天皇にいくつか条件を出していました。
そのなかに、「三種の神器の引き渡しは、後亀山から後小松への譲位の儀をもって行う」とありました。
これは、神器を持っていた南朝こそ正統な朝廷であることを示していました。
しかし、実際には後亀山が神器を後小松に返したことになってしまい、南朝自体を否定する形となりました。
また、確約されていたはずの「持明院統(北朝)と大覚寺統(南朝)が交互に天皇となる」という約束も、後小松天皇が息子の称光天皇に譲位したことで反故にされてしまいました。
こうして、足利義満の策略により、しばらく南朝は歴史から抹消されてしまいます。

足利義満の野心

南北朝統一の翌年。
足利義満と対立関係にあった後円融が亡くなりました。
すると義満は野心をむき出しにします。
将軍職を子どもに譲り、自らは太政大臣になって上皇のごとく振る舞うようになったのです。
義満のもとでは、後小松天皇は操り人形でしかなく、政治の実権はほとんどありませんでした。

1396年。
義満は中国(明)への貢ぎ物した代わりに「日本国王源道義(にほんこくおうげんどうぎ)」の封号を与えられました。
国際的に、足利義満が日本のトップとなったのです。

その後、足利義満は自らの次男・義嗣(よしつぐ)を天皇候補にしました。
しかし、義満はこの次の年に急死。
後を継いだ足利義持により、後小松天皇の権威が回復されました。