第91~93代天皇 後宇多天皇~後伏見天皇

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第91代天皇

後宇多天皇 ごうたてんのう
(1267年~1324年)

 

1267年。

後宇多天皇は亀山天皇の第二皇子として誕生。

母は洞院佶子(とういんきっし)、名を世仁(よひと)といいました。

 

1274年。

父・亀山天皇が院政を敷くこととなったため、8歳で天皇に即位。

しかし、その年。

北九州にモンゴル軍が来襲します。

文永の役弘安の役

ともに、後宇多天皇が在位中の出来事でした。

 

1287年。

後深草上皇の巻き返しと幕府の思惑により、後宇多天皇は退位させられてしまいます。

その後は、後深草系(持明院統)の伏見天皇が引き継ぎ、しばらく持明院統の世が続くことになります。

1301年。

長期間、持明院統が天皇となっている状態に抗議。

後宇多天皇(後宇多上皇)は、後二条天皇を即位させて院政を敷くことに成功します。

そのあと、花園天皇が即位すると政治から遠ざかりますが、自分の子どもである後醍醐天皇が即位すると、再び院政を開始。

1321年には院政を停止し、後醍醐天皇によるせいじがはじまります。

 

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第92代天皇

伏見天皇 ふしみてんのう
(1265年~1317年)

 

1265年。

伏見天皇は、後深草天皇の第二皇子として誕生。

持明院統の血統で、名を熙仁(ひろひと)といいました。

 

1287年。

鎌倉幕府の裁量により宇多天皇の皇太子となり、23歳で即位。

2つの家系が交互に即位するという形式の先駆けとなりました。

 

即位してしばらくは後深草上皇の院政が行われます。

しかし、1290年。

36歳になった伏見天皇は、自分で政治を行うようになります。

また、この年。

伏見天皇の暗殺が計画されます。

計画は失敗に終わりましたが、亀山上皇の差し金という噂が立ち、両統の対立が深まりました。

 

ちなみに、伏見天皇は『玉葉和歌集』を編集し作成したことでも知られています。

 

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第93代天皇

後伏見天皇 ごふしみてんのう
(1288年~1336年)

 

1288年。

後伏見天皇は伏見皇子の第一皇子として誕生。

持明院統の家系で、名を胤仁(たねひと)といいました。

 

後伏見天皇は11歳で即位することになります。

しかし、亀山上皇によりわずか3年で退位することになってしまいます。

その後、花園天皇や光厳天皇が即位すると、上皇として院政を敷くようになります。

 

後伏見天皇は、歌集『後伏見院御集』の編集をしました。