第51代天皇 平城天皇

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<出典:城とか陵墓とか

第51代天皇

平城天皇 へいぜいてんのう
(774年~824年)

 

 

平城天皇の父は桓武天皇。

母は藤原乙牟漏(おとむろ)で、785年に皇太子になります。

806年。

平城天皇は32歳で天皇になりました。

 

即位してすぐ。

弟の伊予親王の謀反が発覚します。

伊予親王は捕縛されると、毒を飲んで自害してしまいました。

 

当時、国の財政は先代・桓武天皇の政策により苦しくなっていました。

平城天皇はこれを改善するため様々な政策を行います。

緊縮財政、租税の強化、官司の整理や統合、官僚組織のスリム化など・・・。

財政再建に力を発揮し、財政を立て直します。

また、畿内・七道に観察使を置いたり、地方官の監視を強化して律令制度の立て直しも行いました。

 

リーダーとして有能だった平城天皇でしたが、藤原薬子によって評価が下がります。

 

平城天皇は皇太子の時、藤原薬子の娘を後宮に迎え入れます。

すると平城天皇は母の薬子を気に入ってしまい、誤った関係を築いてしまいます。

これが桓武天皇に知られると、薬子は後宮から追放。

しかし、薬子のことを思い続けた平城天皇は、天皇に即位するとすぐに薬子を呼び戻します。

そして、薬子を後宮の女官の責任者にしてしまったのです。

薬子によって天皇の威光を手に入れた薬子の兄・藤原仲成。

宮中で横暴な態度を取りはじめます。

こうして、朝廷内では仲成、薬子、平城天皇に対する反発が強くなります。




上皇と天皇。2つの朝廷

平城天皇はもともと病弱でした。

809年。

病状が悪化すると、皇位を弟の神野親王(嵯峨天皇)に譲り、自分は上皇になりました。

ところが、しばらくすると病気から快復。

薬子や仲成の話で政治に対する意欲を取り戻してしまいます。

そして、上皇として命令を乱発。

天皇と上皇の両方から命令が下される「二所の朝廷」と呼ばれる状態になります。

 

平城上皇(平城天皇)は、ここで、さらに攻勢にでます。

809年。

平城京に新たな宮殿を設けることにし、翌年。

上皇の立場で平安京を廃止。

都を平城京へ移すように命令します。

 

嵯峨天皇もさすがにこれは見逃せません。

薬子の官位を奪い、仲成を射殺。

平城上皇は東国へ逃れようとしますが、朝廷側の兵士がいたため平城京へもどります。

平城京へ戻ると、薬子は自害。

平城天皇は出家します。

近臣が追放された平城天皇は、その後、孤独な生活を送り824年に亡くなりました。