室町時代の流れと文化・食事・生活を解説

室町時代

14世紀はじめ。

後醍醐天皇は、足利尊氏、新田義貞などの武士の力を借りて、鎌倉幕府を滅亡させました。

政権を取り戻した後醍醐天皇は、自身が理想とする天皇中心の政治を開始。

摂政や関白、上皇などの制度を廃止し、全国の土地を天皇が管理する政策をすすめます。

しかしこの制度は、鎌倉幕府時代に手に入れた領地を没収する制度でもありました。

当然、武士が反発し社会が混乱しはじめます。

 

足利尊氏が室町幕府を開く

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ここで登場したのが足利尊氏。

尊氏は1335年に反乱を起こし、1336年に京都を制圧。

室町幕府を開きます。

わずか3年で崩れてしまった後醍醐天皇の政治ですが、彼はまだ諦めません!!

奈良に逃げ込むと、そこで政治をはじめます。

奈良の朝廷 、 京都の室町幕府

2つの政府が争いながら日本を支配する南北朝時代が60年間続きます。

 

政権統一!南北朝時代が終わる

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お互いに政権の正統性を主張する中、次第に朝廷の力が弱くなってきます。

1392年になると、室町幕府3代目将軍の義光によって政権が統一され、南北朝時代が終わります。

 

1394年。

義光が太政大臣に就任すると、幕府の最盛期を迎えます。

京都に金閣寺を建てたことからも、その権力と財力がうかがえます。

 

義光がこの世を去ると、幕府の支配体制にほころびがではじめ、関東の実力者上杉氏が反乱。

ほかの地方でも守護の力が増し、手に負えなくなってきます。

守護の力を抑えようとした当時の将軍、義教は、独裁政治に傾きはじめます。

しかし、社会はますます乱れ、一揆も多発するようになります。

そんな状況に危機感を抱いた赤松満祐が、義教を暗殺してしまいます。

 

1449年、足利義政が8代目将軍に就任。

当時は疫病や飢饉が全国的に発生し、各地で大規模な一揆がおこるなど、大変な世の中になっていました。

そんな状態なのに、幕府では跡継ぎ争いがはじまります。

この争いは10年も続いたため、室町幕府の力と権威を弱めることになります。

また、争いにより幕府が管理できなくなった地方では、守護や国人領主などが力をつけ戦国大名になっていきます。

 

こうして、それぞれの地を、戦国大名が統治する戦国時代へと移っていきます。




政権争いの裏側で・・・ 

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鎌倉時代になると比較的あたたかな地域ではコメと麦の二毛作が行われるようになりました。

さらに技術が発達すると、荏胡麻を栽培したり、絹布や麻布を織って副業するようになりました。

こうした発達により市が開かれることも多くなっていきます。

すると、地方の特産物を売り歩く行商人も現れるようになり、商工業者が増えてきます。

その後、鉄製農具が発達し牛馬を利用できるようになると、農業の生産性がさらに向上。

すると、鍛冶や塗師、大工、鎧士など仕事の分業が進むようになり、さらに市場が活発になります。

 

こうして、民衆の意識が進歩してくると、荘園領主(貴族)や、地頭(武士)による税の徴収に反発するようになってきます。

農民たちは団結して訴訟を起こしたり、集団で逃亡したり、武力に訴えて年貢の納入を拒否するようになってきます。

 

こうした流れに各地を管理する領主(貴族)や守護(武士)は苦悩しますが、一部の経済感覚の優れた人たちは流れに乗り力をつけていきます。

守護が力をつけると、幕府は各地をコントロールできなくなってきます。

そこで、苦肉の策として守護の権限を強化して、幕府に協力をうながします。

権限が強くなった守護は、貴族の土地である荘園の侵略を繰り返し、さらに力をつけ守護大名になります。

 

こうして、各地に様々な勢力が現れ、時代は戦国時代へ突入します。

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