第36代天皇  孝徳天皇

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<出典:wikipedia

第36代天皇
 孝徳天皇 こうとくてんのう
(596年~654年)

645年。
乙巳の変で蘇我氏が滅亡し、中大兄皇子と中臣鎌足が表舞台にでてきました。
また、蘇我氏の滅亡したことで、皇極天皇は天皇の位を譲ることにしました。

天皇に選ばれたのは、軽皇子(かるのみこ)
軽皇子は即位して孝徳天皇となりました。

天皇となった孝徳天皇でしたが、実権は中大兄皇子にあり、思い通りに政治を行えませんでした。
中大兄皇子は「大臣・大連制」を廃止し、新たに左大臣・右大臣制度を設置しました。
そして、乙巳の変で活躍した蘇我倉山田石川麻呂と中臣鎌足を大臣に起用しました。

この時期。
宮殿を飛鳥から難波長柄豊崎(なんばのながらのとよさき)に移しています。
また、「改新の詔(かいしんのみことのり)」を発布し、中国(唐)の制度にならって、新しく決まりを作りました。

第一条
臣、連、伴造、国造、首長などの支配する部や、豪族の持つ土地を廃止。
すべての人民と土地は天皇のものという公地公民制を導入。(実際は私有地も多数残った)
第二条
国司、郡司、関塞(せきそこ)、斥候(うかみ)、防人(さきもり)、駅馬、伝馬などを置き、鈴契制度を導入。交通制度を整える。
第三条
戸籍、計帳、班田収授の法を導入。
第四条
調(税として納める米)の制定。田んぼの広さによって税を課税。

これらの制度により、中央集権化が進みました。

政治改革を急速に行った中大兄皇子と、その裏で実権を持てなかった孝徳天皇。
二人の仲は急速に悪化しました。
そして、648年。
中大兄皇子は天皇を難波に残して、皇極上皇や間人皇后(はしひとこうごう)を連れて飛鳥へ帰還してしまいました。
そのため、孝徳天皇は皇位を捨てて離宮で隠れて暮らそうと考えましたが、離宮が完成する前に亡くなってしまいました。