奈良の朝廷、京都の室町幕府。南北朝時代の軍記物語『太平記』

太平記

太平記 -たいへいき-

成立:1350年ころ
製作者:恵珍上人、足利直義、玄彗法師など
巻数:全40巻

約五十年にわたる南北朝時代の動乱を描いた軍記物語。

恵珍上人が持ち込んだ作品を、足利直義が編纂しなおすように命じた。

命令を受けた玄彗法師は編纂に取り組み、さらにそれを小島法師が書き継いだといわれている。

 

『太平記』は物語僧によって語り継がれ、江戸時代初期には「太平記読み」を仕事とする浪人によって広められた。

ここでは、『太平記』の内容を簡単に紹介します。

天皇に忠誠を誓う英雄たち

1324年。

後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒して、再び天皇による政治を取り戻そうとする。

しかし、これは密告されてしまい失敗。

1331年。

後醍醐天皇は再び倒幕を企てるが、またも情報が漏れてしまう。

宮中から脱出し、笠置(かさぎ)に逃れた後醍醐天皇は、夢を見る。

「緑の常盤木の枝が南に伸びる。二人の童子が告げる。この木の下に置かれた玉座は天皇のために設けた玉座である、と。」

後醍醐天皇は夢に従い、「南の木」である楠木正成を呼び出す。

正成は、「自分一人が生きていれば必ず天皇の運を開く」と断言した。

一方、鎌倉幕府は光厳天皇を天皇の位につかせた。

そして、政権を握る北条高時は、政治をおろそかにし闘犬や田楽などに夢中になっていた。

ある時。

宴の席で田楽を舞っていた者が、急に「天王寺のやようれぼしを見ばや」とはやした。

1332年。

天王寺で楠木正成が挙兵。

各地の武将も反乱し、後醍醐天皇も隠岐から脱出した。

これを鎮めるため幕府は兵を送るが、援軍として送ったはずの足利尊氏が裏切り。

六波羅探題が落とされてしまう。

さらに同じころ。

鎌倉幕府も新田義貞に攻め落とされ、鎌倉幕府は滅亡した。

 

1334年。

後醍醐天皇は再び皇位につき政治を開始する。

しかし、政治に不満を持った足利尊氏が反乱。

楠木正成が反乱を鎮めるため、兵庫に向かう。

このとき正成は、自分の命が尽きることを覚悟していた。

そして、11歳の嫡子である正行(まさつら)に、言い残す。

「獅子は子を産んで3日経つと、その子を崖から突き落とす。子どもにはすでに獅子の性質が備わっているから、お教えられなくても宙返りをして命を落とすことはない。同じように、お前も天皇に忠誠を尽くすのだ」

こうして、楠木正成は湊川の合戦で討死をした。

 

1338年。

足利尊氏は光明天皇を擁立し北朝を建て、後醍醐天皇の南朝と対立。

しかし、幕府内部の抗争が続き、下剋上の風潮が蔓延してしまう。

1368年。

10歳の足利義満が三代将軍となり、細川頼之が補佐し、ようやく世に安定がもたらされた。