太平洋戦争の名将|大場栄

大場栄

<出典:wikipedia

大場栄 おおば さかえ
(1914年~1992年)

はじめに

1914年。

大場栄は愛知県の農家に誕生。

実業教員養成学校を卒業し、地理の教諭となりました。

しかし、1934年に、徴兵によって陸軍に入営することになってしまいます。

当時23歳の大場は、将兵を目指すようになりました。

 

1941年。
太平洋戦争勃発。

1944年2月。
歩兵第18連隊中隊長としてサイパンに転出。

サイパン島での戦闘が激化し、大場栄は9月30日に戦死と認定されました。

 

ここでは、大場栄が戦死認定されるまでの流れと、認定後の活動についてみてみましょう。

日本軍惨敗!サイパン島での戦闘!

1943年~1944年。

アメリカ軍を中心とした連合軍は、ソロモン諸島、ギルバート諸島、マーシャル諸島へと進攻しており、日本軍は追い詰められていました。

連合軍が次に狙ったのがマリアナ諸島。

ここがアメリカ軍の手に落ちたら、日本本土が直接爆撃を受けることとなります。

そこで、マリアナ諸島サイパン島には日本陸軍兵2万8000人と海軍陸戦隊・兵站部隊1万5000人が送り込まれます。

 

1944年6月11日。
1000機以上のアメリカ海軍艦載機がサイパンを襲撃。

13日には、アメリカ海軍上陸船団が砲弾を浴びせます。

これにより、日本軍の陣地は半減し、基地の航空機はすべて破壊されてしまいます。

 

6月15日。
アメリカ軍がサイパン島上陸。

圧倒的な戦力差の前に、日本軍にはなす術がありません。

7月9日。
アメリカ軍上陸部隊指揮官リッチモンド・ターナー中将は、サイパン島占領を宣言します。

生きていた大場。数百人でのゲリラ戦!!

7月9日にサイパン島を占領された日本軍。

サイパン島に派遣されていた大場栄は、9月30日に戦死認定を受けました。

しかし大場栄は生きていました。

150人の兵士と、200人の民間人とともに、島に潜伏していたのです。

大場は徹底抗戦を決意していました。

アメリカ軍が来る前に、食料と武器弾薬を洞窟に隠していました。

 

大場はゲリラ戦を展開し、4万5000人のアメリカ兵を翻弄しはじめます。

これに気づいたアメリカ軍は掃討作戦を実施。

しかし、大場たちは攻撃をかわし、抵抗を続けます。

大場の巧みなゲリラ戦を、アメリカ軍は「フォックス」と呼ぶようになりました。

 

1945年8月15日。

日本が降伏します。

しかし、これを知らない大場は抵抗を続けます。

9月になると、アメリカ軍は飛行機からビラをまき、投降を呼びかけますが、ワナだと思った大場は戦闘を続けます。

 

1945年12月1日。

上官だった天羽馬八少将から降伏命令を受け取り、大場たち47名はようやくアメリカ軍に投降します。

サイパン島が占領されてから4ヶ月以上経っていました。

 

投降の際。

大場たちは日章旗を掲げ、軍歌『歩兵の本領』を歌いながら行進します。

この堂々とした姿はアメリカ軍たちを感動させ、のちに元アメリカ海兵隊退院のドン・ジョーンズは、大場の活躍を『OBA THE LAST SAMURAI』という小説にまとめました。

 

ときは流れて、1967年~1979年。

大場栄は愛知県蒲郡市会議員を務め、1992年にこの世を去りました。