お相手はお龍さんだけではない。坂本龍馬の女性遍歴をご紹介!

日本男児にはモテモテだった偉人たちがいます。

姿絵でしか容姿がわからない男性から、モノクロ写真でイケメンっぷりがわかる男性までさまざまです。

幕末のモテ男というと、女性たちにかくまわれた桂小五郎、愛人たちに囲まれていた伊藤博文、たくさんのラブレターを受け取っていた土方歳三などなど……あげられますが、実はお龍さん一筋のようなイメージがある坂本龍馬も、当代きってのプレイボーイでした。

坂本龍馬はお龍さんに出会う前、土佐には許嫁ともいえる幼馴染がいましたし、江戸には公認の婚約者までいました。

そこで今回は、幕末のプレイボーイ・坂本龍馬の女性遍歴と、衝撃の近江屋暗殺犯の新説をまとめます。

幼馴染の才色兼備・平井加尾

生まれ育った土佐には、幼馴染の平井加尾という女性がいました。

この実兄である平井収二郎とは親友であったため、自然と幼い頃から仲良くしていたといいます。

平井加尾は、和歌もできれば、一絃琴もできる。気立ても良い。

これから坂本龍馬と関係を持つことになる女性たちと比較すると、まさに女性らしい女性でした。

家族ぐるみの付き合いがあったため、それとなくふたりの結婚話も持ち上がっていたといわれています。

しかし、江戸遊学で坂本龍馬が土佐を離れることになったため、あやふやとなってしまったのが現実です。

 

その後、平井加尾は、京都の土佐藩邸で三条公睦未亡人信受院の世話をすることになったため、しばらく京都で生活をしていました。

女性にとっては婚期を逃していたともいえます。

京都に滞在中は、土佐勤王党員として尊王攘夷活動する収二郎を、平井加尾が手助けすることもありました。

土佐勤王党の弾圧によって収二郎が処刑され、近江屋で坂本龍馬が暗殺された後、29歳で結婚します。

相手は土佐勤王党員だった西山志澄です。

明治時代になってからは、初代警視総監を務めた夫を支えています。

後年の取材で明らかになったことは、平井加尾は本気で坂本龍馬と結婚するつもりであったことです。

一生の心残りとして、坂本龍馬と再会できなかったことをあげているほどです。

薙刀の免許皆伝!千葉佐那

坂本龍馬の婚約者として知られている千葉佐那は、幼馴染の平井加尾と同い年でした。

江戸遊学中に剣術修行をしていた小千葉道場で薙刀の指導にあたっていました。

薙刀を握れば「鬼小町」と怖れられるものの、平素は口数が少ない美人でした。

どのようないきさつで婚約となったのかはわかりませんが、最終的には結納として千葉家から小刀が贈られています。

このことから、公認であったことがうかがえます。

その後。

神戸海軍操練所で航海術を身に付けたり、薩摩藩に滞在していたり、長崎で亀山社中を立ち上げたり、江戸に戻ることがない坂本龍馬のことを、千葉佐那はずっと待ち続けていたといいます。

坂本龍馬とお龍との結婚を把握していたのかは分かりません。

ただ、千葉佐那は本龍馬の婚約者として、他の男性との結婚は受け入れませんでした。

明治時代になってからは、学習院の舎監として教育指導にあたり、退職後は千葉灸治院を営んで細々と暮らしていました。

このとき、初代内閣総理大臣となっていた伊藤博文が灸治院を訪ねました。

坂本龍馬からの言付けを伝えたといわれていますが、その内容は明かされていません。

坂本龍馬を暗殺したのは千葉佐那だった?

ミステリーとしてピックアップされる坂本龍馬暗殺。

一応は見廻組説が有力とされているものの、従来の新選組説にはじまり、紀州藩黒幕説、勝海舟黒幕説、中岡慎太郎自作自演説などなど……枚挙にいとまがありませんが、実は「千葉佐那説」もささやかれています。

動機はいうまでもありません。

江戸で婚約者である坂本龍馬の帰りを待ち続けていたところ、すでに結婚していることを知ったこと。

鬼小町としておそれられた彼女が、坂本龍馬をうらんで京都へ乗り込んでいったとしたら。北辰一刀流の関係から、どうにか坂本龍馬の居場所を特定して、近江屋に乗り込みます。

現場は狭い空間です。

薙刀ばかりでなく小太刀も得意な千葉佐那のほうが、場合によっては有利であったともいえるでしょう。

坂本龍馬も本気で銃を向けることができなかったかもしれません。

近江屋では、まっ先に坂本龍馬が殺害され、抵抗した中岡慎太郎も重傷を負ってしまいます。

中岡慎太郎も女性にやられたとはいえずに、犯人についてはっきりと証言しなかったということも頷けるのです。