龍馬を斬ったのは居合いの達人? 戦闘痕跡から検証する

坂本龍馬のお墓

<出典:wikipedia

はじめに

幕末史に残る大きな謎のひとつとして、「龍馬暗殺」という事件があります。

歴史を転換させた坂本龍馬を葬ったのは誰か?

そんな話題が多くの人の関心を集めてきました。

 

近年の研究では、密命を受けた都の治安維持部隊、京都見廻組のメンバーによる襲撃という説が有力となっています。

ここでは龍馬襲撃の様子から、暗殺者がどのような技の遣い手だったのかを検証してみましょう。




盟友の中岡慎太郎が語った龍馬暗殺の流れ

龍馬暗殺の際、ともに居た盟友の中岡慎太郎も襲撃を受けました。

しかし、中岡は重症を負いながらも二日間生存。

その間に事件のあらましを語りました。

以降は主に中岡の証言によるものです。

 

暗殺者たちは龍馬に面会をもとめ、名札を見せて油断させます。

それを確認しようとした龍馬の前額部を切り払いますが、龍馬は即座に真後ろに立てかけてあった大刀を掴むため振り向きます。

暗殺者はその背中に目掛けて二の太刀を振るい、三の太刀は龍馬に大刀で受け止められます。

しかし、そのまま力押しに龍馬の頭部を押し切り、動かなくなったのを見届けて撤退しました。

この間、中岡は複数の敵に囲まれ全身十数か所を切り付けられながらも短刀一本で防戦し、絶命したと思われながらも息を吹き返しています。

そして救護され、亡くなるまでの間に襲撃の様子をつぶさに語ったのでした。

これが龍馬暗殺のあらましです。

実行犯は「居合」の達人だった?

これらの状況から、龍馬を暗殺したのは十分に室内戦の訓練を積んだ剣士だったと考えられています。

つまり、挨拶のため座った状態から抜刀と同時に切りつける居合で龍馬の額を割り、追撃しながら切り下ろしたことが想定されるのです。

また、挨拶の際には敵意がないことを示すために大刀は腰から外し、脇におくのが作法でした。

しかし脇差しや小太刀は装備したままのため、これを用いて居合の技を使ったのではないかともいわれています。

それというのも、京都見廻組の指揮官だった佐々木只三郎は「神道精武流」という小太刀の流派の達人であったことが知られており、当然その配下となる隊士も相応の小太刀術の心得があったと推測されるからです。

小太刀は本来、室内などの狭い場所でもっとも威力を発揮する技であるとされ、長い刀身の大刀よりもかえって取り回しがよく、自由に攻防を行えたともいいます。

また、居合のセオリーでは刀を抜いていく勢いを利用して片手でそのまま真っ直ぐ切り付ける「抜き付け」という技で先手をとり、こめかみや首筋、前額部を横一文字になぎ払うという太刀筋を多用します。

このような状況から、龍馬暗殺は「小太刀による居合術」を得意とする人物によって実行されたと考えられています。

ちなみに、大正12年の新聞では原田左之助が龍馬を刺したと書かれていますが、現在、この説はほぼ否定されています。(>>原田左之助の記事へ