天皇陵と古墳って何が違うの??知っていそうで知らない古墳の疑問!!

歴史の教科書や資料集で、一度は見たことのある「古墳」。

まるで鍵穴のような形の前方後円墳は、あまりにも特徴的すぎる形ゆえに、歴史に興味のない人でもよく覚えているかと思われます。

エジプトのピラミッド、中国の秦始皇帝陵に負けないインパクトを与える古墳ですが、私たちは古墳についてどれだけのことを知っているのでしょうか?

知ってそうで知らない古墳にまつわる疑問を解説していきましょう。




天皇陵と古墳って違うの?

基本的なところですが、そもそも古墳とは何か?

簡単に言ってしまうと、古墳とは3世紀半ば~7世紀に作られた墳丘を持つお墓のことを指します。

大山古墳、稲荷山古墳などが良い例ですね。

しかし、たまに「●●天皇陵」という名前を見ますが、これは古墳とどう違うのか……

「●●天皇陵」とは、特定の天皇や皇后が埋葬されている陵墓のことを指します。

皇子や皇女が埋葬されている場合は「墓」と呼ばれます。

「陵」とも「墓」ともつかない古墳は、皇族ではない首長や一般人が埋葬されているものです。

いずれにしても古墳に変わりはありませんが、名称としての「●●古墳」というのは考古学上の名称であり、「●●天皇陵」というのは古墳の中の天皇・皇后が埋葬されている特別なもの、といったところでしょうか。

巨大な古墳はどうやって作ったの?

エジプトのピラミッドがどのように作られたか、これは未だに人類史のミステリーに数えられていますね。

日本にも巨大な前方後円墳が多数存在しますが、これに関してはある程度作り方が分かっています。

まず古墳を作るにあたり、場所の選定から開始されました。多くの古墳は作りやすさを重視したのか、集落に近い場所が選ばれましたが、中には港に近い場所に作られたものもあります。

まず土地を綺麗に均し(ならし)て、櫓を作り、監督者が櫓から地上を見渡しながら指示を出して、地面に巨大な設計図を書かせます。

設計図が完成したら、それに合わせて盛り土をしていき、1段…2段…と土で墳丘を作ります。

墳丘が出来上がったら、表面に石を敷き詰めていきます。そして盛り土の重ねられた円方部分の頂上に穴を掘り、石室が納められ、古墳が完成します。

このような作業を当然のことながら、すべて人力でおこなっていましたので、気の遠くなるような時間と労力がかかっていたと思われます。

大山古墳の場合だと、2,000人の人が働いたと仮定すると完成まで約15年近くの歳月がかかっていたと考えられています。

副葬品にはどんなものがあったの?

偉い人のお墓には副葬品が付き物です。

かの有名な伊達政宗の墓からは、黄金のロザリオが見つかった…なんて話もあります。

これは伊達政宗が個人的な持ち物だったと考えられていますが、3世紀半ばから始まる古墳時代には、そういった個人的な思い出の品などを副葬品にするという文化は、あまり多くありませんでした。

副葬品として古墳の中に入れられていたのは、以下のようなもの。

・銅鏡 ・農具
・食器 ・供物
・馬具 ・装飾品
・剣 ・甲冑

書物の史料が無い古墳時代を知る大事な手掛かりとされています。

銅鏡や剣などの武具は、当時呪術的な力を持つと信じられており、弥生時代から特別な物とされてきました。

武具は「邪を祓う」という意味だけでなく、埋葬された人の経歴や権力を象徴するものとされ、農具も生産力を誇示する意味合いがありました。

 

5世紀末から副葬品にも変化が表れました。

この頃から金属製品を作る技術が伝わって来たので、権力者の間で金ぴかの副葬品が大流行し、冠や沓(くつ)、指輪やベルトのバックルといった身に着けるものが副葬品として納められました。

中でも沓は「死後に黄泉の国に旅立つ時に履いて行けるように」という思想があって納められたと考えられており、この頃から死生観が生まれて来たのではないかと思われます。

この思想は食器や供物にも言える事で、古墳時代後期から副葬品に選ばれる事の多かった食器は、葬送儀礼で使うだけでなく、死後も食べ物に困らないように等の意味があったのではないかと言われています。