盛者必衰のことわり。覚悟を決めた平家の母・二位尼の優しいウソ。

はじめに

二位尼(平時子)は、“武者の世”を切り開いた平清盛の妻であり、安徳天皇の祖母でもあります。

二位尼は清盛が亡くなった後、平家の滅亡をその目で見届けました。

そして、平家の最期を目の当たりにしたとき、二位尼は覚悟を決めました。

天皇の祖母

清盛と二位尼の間には、男の子が3人、そして女の子が1人生まれました。

その女の子・徳子が高倉天皇に嫁ぎます。

それから7年。

徳子は男の子を産みます。

この男の子が安徳天皇です。

3歳にして即位した安徳天皇の存在によって、彼の祖父母にあたる清盛と二位尼は、准三后というかなり高い地位を与えられます。

夫・清盛の死

1118年3月。

平家のリーダーである清盛の死によって、平氏打倒を掲げる源氏が勢いを増していきました。

源義経が率いる軍勢に、西へ西へと追いやられる平家。

そして、1185年3月24日。

壇ノ浦の戦いを最後の決戦として、平家は滅ぼされてしまいます。

海の底の都

安徳天皇を乗せた御座船も、もう安全とは言えない戦況でした。

――もはやこれまで。

そう思った二位尼は、自分の息子・知盛の船に近づくと、「見苦しいものは全て海へ捨てなさい」と言いました。

敗北が分かっているからこその言葉でした。

そして、二位尼は三種の神器・八尺瓊勾玉を懐に、天叢雲剣を帯に差し込みます。

それから安徳天皇の手を握ると、船端に立ちます。

まだ8歳の安徳天皇は不思議に思って、「どこに行くの?」と聞きました。

二位尼は、「波の下には、極楽浄土という都があります。そこへ一緒に行くのですよ」と答えると、安徳天皇を腕に抱き、海へと身を投げました。




二位尼、安徳天皇の行方

この後、二位尼が身につけて沈んだ三種の神器の一つ・八尺瓊勾玉は浮かび上がってきたため、源氏方は回収することができました。

しかし、天叢雲剣は見つかりません。

どうにか三種の神器を揃えたい源頼朝は、その行方を数年も捜索させます。

それでも、ついに見つかることはありませんでした。

一緒に沈んだ二位尼、安徳天皇の体も……。

 

二位尼は、敵方の手に落ちることを良しとしなかったため、安徳天皇を抱えて海に沈みました。

まだ幼い安徳天皇を怖がらせないよう、「波の下の都に行くのですよ」と優しい嘘をついて……。

見つからなかった2人は、一体どこへ行ってしまったのでしょうか?

――もしかしたら本当に、波の下の都へと辿り着いたのかもしれません。