第66代天皇 一条天皇

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<出典:wikipedia

第66代天皇

一条天皇 いちじょうてんのう
(980年~1011年)

 

 

980年。

一条天皇は、円融天皇の子どもとして誕生。

名を懐仁(やすひと)といい、母は藤原詮子(せんし)でした。

 

987年。

花山天皇が出家したため、一条天皇は7歳で天皇となります。

摂政となったのは、祖父の藤原兼家

兼家によって、兼家の子どもたちはどんどん出世していきます。

長男の藤原道隆(みちたか)は内大臣に。

三男の道兼(みちかね)は権大納言に。

五男の道長は、23歳の若さで権中納言に任命されました。

 

990年。

藤原兼家が亡くなると、道隆が後をついで関白になります。

道隆は娘を一条天皇の中宮にして権力拡大を狙いますが、995年。

病気で亡くなってしまいます。




藤原道長が政権を握る

道隆は自分の子どもに関白職を継がせたいと考えていました。

しかし、一条天皇はこれを許さず、次に関白となったのは弟の道兼でした。

道兼の政治がスタート!と思いきや、道兼は就任後すぐ亡くなってしまいます。

すると、道隆の子と道隆の弟が関白の座をめぐって争いを開始。

当初、一条天皇は道隆の子である伊周を採用しようとしていました。

しかし、詮子は道隆の弟の藤原道長を高く評価。

天皇に起用するように迫ります。

こうして、藤原道長は関白になりました。

 

権力を手にした道長にさらに追い風が吹きます。

伊周が藤原隆家と花山法皇に矢を射かけたのです。

これにより伊周が失脚すると、藤原道長が名実ともに朝廷のトップとなったのです。

 

1000年。

藤原道長は、その権力をさらに確実なものにするため、娘の彰子(しょうし)を中宮とし、初の「一帝二后」ができました。

 

1011年。

病気が悪化したため、一条天皇は皇太子の居貞親王(三条天皇)に皇位を譲り出家。

まもなく亡くなりました。