超先進的で超快適♪武田信玄の作ったトイレ!!

今では水洗になっただけでなく、暖かい便座や、ウォシュレッドまである日本のトイレ。

しかし、日本でもほんの数十年前まではボットン便所がたくさん存在していました。

今回のテーマはトイレ。

トイレの歴史と、武田信玄が作った画期的なトイレを紹介します。

トイレの歴史

平安時代には、貴族は樋箱(ひばこ)というポータブルトイレを使っていました。

鎌倉時代には、トイレとされる場所の下に溜め桶を置き、糞尿を肥料として使うようになりました。

戦国時代は、武士は厠を利用し、女性は「おまる」を用いたといいます。

公卿や大名などは、掘った穴に紙を敷いて砂をのせ、用がすむとまたその上に砂をのせる砂雪隠を使っていたそうです。こうして、糞尿を川などに捨てに行く手間がなく、雪隠をつくることによって初めて独立したトイレが登場しました。

各武将のはるか先へ。武田信玄のトイレ

今川義元は、掘った穴の回りに石を配置し、一坪ほどの枯山水風雪隠を楽しむ優雅なトイレスタイル。

秀吉も同様形式を好みました。

時代を考えれば、それだけでもすごいトイレだと思います。

しかし、信玄のトイレは他の武将より数段上を行く発想でした。

1.広いトイレ
まず彼のトイレは畳を敷き詰めた京間6畳敷。
京間6畳は現在の6畳よりかなり広いものでした。
何事にも慎重な信玄は壁から「槍」で突かれることがないように、また必要ならば刀を振るって応戦できるような広さのあるトイレが欲しかったのです。

2.水洗でエコ
武田信玄のトイレはなんと水洗でした。
排泄後に「鈴」を鳴らすと、隣の浴室から風呂の残り湯が、トイレの建物下から樋(とい)で送られました。
エコな水のリサイクル水洗トイレで、とても清潔でした。

3.芳香剤
トイレには香炉を置いて伽羅(きゃら)をたきこめていました。
信玄はこの部屋を「甲州山」と呼んでいました。
家臣が理由を尋ねると、信玄は「山には草木(臭き)が絶えぬからのう」と答えたとか。
朝・昼・晩の三交代で小姓らに番をさせ、香の薫りを絶やさない徹底管理。
これぞトイレ芳香剤の元祖ですね。

4.アイデアはトイレで
こんな清潔で気持ちの良いトイレですから、そこで読書をし、数々の作戦を練り、訴訟関係の書類に眼を通すなど、信玄はトイレで執務も行っていたようです。
トイレの入口に、国名と郡名が書いてある箱が設置され、箱の中には当該の訴訟問題についての原案を入れたりしていたそうです。

 

信玄にかかれば、トイレはただの排泄の場ではなく、リラックスできて安全、そして重要な執務室でした。

ちなみに、流した汚物は敵の忍びの者に調べられて体調を察知されることがないよう、わざわざ鯉に食べさせていたとも言いますから、もう全て完璧でした。