松尾芭蕉の旅と歌。『おくのほそ道』

<出典:wikipedia

おくのほそ道

作者:松尾芭蕉
作風:紀行文
刊行:1702年

月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年も又旅人也

現代語訳
月日は永遠にわたる旅人であり、行きかう年もまた旅人である

『おくのほそ道』冒頭は、有名なこの文章から始まります。

そして、次のように続きます。

舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、
去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、
やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、
そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。
もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、
住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

草の戸も 住替る代ぞ ひなの家

面八句を庵の柱に懸置。

『おくのほそ道』は、松尾芭蕉の旅の記録。

その記録の中で多数の歌が詠まれました。

松尾芭蕉の旅

1689年。

門人の曾良(そら)を連れて旅に出た松尾芭蕉は、奥羽・北陸地方へ行きます。

そして、中国の詩人・李白(りはく)や杜甫(とほ)、歌人・西行(さいぎょう)など、先人の跡を辿り、同じ場所で俳句を詠んでいきます。

また同時に、知り合いの俳人も訪ねながら旅をします。

このときの旅の内容が『おくのほそ道』として刊行されました。

 

『おくのほそ道』を読んでみると、当時、徒歩で歩いたにしては、かなりペースが速いことが分かります。

そして、松尾芭蕉が伊賀出身であることも関係して、「松尾芭蕉=忍者説」が生まれました。

しかし、実は、芭蕉の旅に付き添った曾良も旅の記録を『曽良旅日記』として残していました。

こちらは日付や事象が細かく記されています。

『おくの細道』と『曽良旅日記』を比較すると天候や旅程が食い違っており、『おくのほそ道』は芭蕉が後で手直しをして俳諧的な世界を作り上げたものだと考えられています。

『おくのほそ道』の代表的な俳句

藤原秀衡の館跡にきた芭蕉。

高館に上ると、大河が流れている。
忠義心のある家来たちが、高館で功名を競ったが、得られたものは一時の夢と消え、今では草が生い茂っている。

芭蕉は俳句を詠みました。

夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡

意味
人気のないところに、いまはただ夏草だけが生い茂っている。
ここはかつて、義経や藤原一族が栄華を夢見たところである。
すべてが夢と消えたと思うと哀れに感じる。

 

出刃の国に入り、人に勧められて尾花沢から戻って立石寺に立ち寄ります。

山上の堂が静まり返っている。
心が澄んでいく。

ここで、芭蕉は一句。

(しずけ)さや 岩にしみ入る 蝉の声

意味
(蝉がうるさいくらい鳴いている。)なんと静かなことだ。
岩に染み入るように鳴く蝉の声が聞こえる。

 

普通ならうるさい蝉の声。

しかし、芭蕉はここに閑かさを感じ取ります。

自身の周りに広がる大地。
澄み切った空。
時間がゆっくりと流れる空間で。
深閑と静まりかえる宇宙を感じる。

そして、出てきた言葉が「閑さや」だったのでしょう。

 

五月雨を あつめて早し 最上川

意味
梅雨の雨が最上川に集まって、猛烈な勢いで流れている

※五月雨=夏の季語

 

この句は、背景が分かるととても面白いです。

もともと、松尾芭蕉は次の句を詠んでいました。

五月雨を あつめて涼し 最上川

意味
暑い7月に、梅雨を集めたような最上川からくる風が涼しいなぁ

 

とても風流で優雅な歌でした。

しかし、何を思ったか、芭蕉は梅雨の増水した川を、舟下りします。

まさに、命がけで最上川の速さを体感。

「涼し」を「早し」に変え、とても迫力のある一句となったのです。